第598回 南无阿弥陀仏とは

平成16年 7月8日〜

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本堂での一周忌の法要で、亡くなられた方は、南无阿弥陀仏の仏さまとなって、
いま現に働いていただいているとお話しました。
そして、それは南无阿弥陀仏を口にし、南无阿弥陀仏を耳で聞くことで、
味わうことができるのです。


では、南无阿弥陀仏とはどういう意味なのか、
南无阿弥陀仏とは何を言っているのか、簡単のようですが、
いざ説明するとなると難しいものです。


南无阿弥陀仏の「南無」とは、「帰命」とも訳されます。
南無も帰命も同じ意味で、たよりにする、たのみに思う。信ずる。
帰依するなどという意味があるといいます。


ですから南无阿弥陀仏とは無限の智慧と慈悲の如来さま、あなたを信じ、
たよりにしますと、言っていることになるのです。    


しかし、如来は「信じたならば救う」といわれるのではありません。
「かならず救わねばおかない、わたくしのまことを信じてくれよ」と、
この私を救うために本願が起こされ、名号のはたらきとなって私を救うて
いただくのです。


 南无阿弥陀仏 南无阿弥陀仏と口にするのは、阿弥陀如来、
貴方に帰依します貴方にお任せしますと、阿弥陀さま貴方はすばらしく、
貴方を理想とし、あなたのようになりたいと阿弥陀仏という仏さまの素晴らしさを
ほめたたえていることでもあります。


阿弥陀如来は自分のことは最後にして、すべての人を救うため、努力して
おられる仏さま。
「南无阿弥陀仏」と口にすることは、その阿弥陀如来をほめたたえているのです。


仏さまを仰ぎ、讃嘆する生活を繰り返すと、いかに私の生活が
自己中心的であり、回りの人びとの思いなど、気にせず、
感じてもいないことが恥ずかしくなってきます。


南无阿弥陀仏は、その阿弥陀さまの働きに感動し、自分もそうした仏に
していただけることを喜ぶ言葉なのです。


南无阿弥陀仏を繰り返し聞かせていただくことで、いかにこの私は、
自己と自分の仲間のことだけしか考えない、醜い生活であったかが、
気づかされ、私の人生は大きくかわってくるのだと思います。


南无阿弥陀仏の生活とは、いま、仏様となって活躍しておいでのお父様の
呼び掛けをちゃんと聞き、何を成すべきなのか、何が出来るのかを、
考えさせられる生活、


親鸞聖人は和讚に、お念仏の人には、「不可称不可説不可思議の功徳は
行者の身にみてり」と、歌っていただいています。


お念仏を聞く生活をすると、亡き方の願いが聞こえてきて、何をやればいいのかを
教えていただけるのだとおもいます。


頭で考えるのではなく、南无阿弥陀仏を口に、
実践してみるとうなずけることです。


それが、仏となられた方の願いを聞く、呼び掛けを聞く法要であり、
これから理想の生活だと想います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月14日に新しい内容に変わります。