第610回 たのむ

 
平成16年 9月30日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

十年間準備してきた巡番報恩講、無事ご満座を迎えることができましたが、
ご講師の豊島学由先生が、浄土真宗のことを、そして、浄土三部経のことを、
次のように分かりやすく教えていただきました。


 親鸞聖人がお師匠さまの法然上人から、お釈迦さまの数ある教えの中から、
仏説無量寿経、仏説観無量寿経、阿弥陀経の三つこそが、この私のために
説かれた教えであると、受け取られました。


お釈迦さまの教えは、応病与薬と言われるように、それぞれの悩みや苦しみに
最も効果のあるように説かれています。


どれが良いとか、どれが悪いとかいうものではなく、私の症状にもっとも効くものが
私にとって最も大事な教えです。


風邪を引いた人が、この風邪薬こそが一番効く薬だと思って、目を患った人に
薦めても、目の病気にはあまり意味がありません。逆に風邪を引いている人に、
目薬を与えてもあまり効果があるとは、考えられません。


それぞれの症状に最も適した薬こそが、その人に最も大事な薬です。

浄土三部経の大経は、この「薬」に当たると例えていただいた方があるそうです。
そして、観経は、「病人・患者」、阿弥陀経は「お医者さん」に当たると。

 この浄土三部経が、薬、病人、医者であって、もう一つ忘れてならないことがある。
いくらお経があっても、病人がいても、医者がいても、これだけでは、効果がなく、
もう一つ大事なことがあると、お聴聞の方全員に考えさせ、教えていただきました。


それは何か、それは、この薬を見ているだけでは、研究しているだけでは駄目で、
自分で飲まねば、効果が出てきません。


大事に飾っているだけでは意味がなく、自分自身が口にして飲まねば意味がない、
効き目がないと言うことです。


どんなに立派な先生が処方してくれても、それが、どんなに効く薬であっても、
患者が飲まねば効き目がありません。     


仏教は、飲むことが大事であると、そして、蓮如上人が弥陀を「たのみたてまつる」、
「たのむべきは」、とおっしゃるのは、この飲むに、強調する接頭語、「た」を付けて、
「たのみ」「たのむ」とおっしゃったのではないかと、味わっているとのお話しを
いただきました。


お話しを聞きながら、思いました。

眺めるお念仏、お飾りするお念仏、勉強するお念仏だけではなく、私が飲む、
口にするお念仏であることが大事であり、効き目があるのだと味わいました。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月7日に新しい内容に変わります。