第627回 問いに答える

 平成17年 1月 27日~

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

毎月大阪から行信教校の天岸先生に来ていただいて、観無量寿経を
学ばせていただいていますが、先日大変有り難いお話を聞かせて
いただきました。


 わが子である阿闍世によって、王宮の奥深くに閉じ込められ、一歩も
外へ出ることが出来ないようにされた韋提希夫人は、悲しみと憂いに
やつれはて、遠く耆闍崛山の方に向かい、釈尊に礼拝して、救いを
求めました。


お釈迦さまは、目連、阿難とともに、王宮の韋提希の前にお出ましになりました。
韋提希は、このお姿を仰ぎ見て、すすんで胸飾りをかなぐり捨て、その足元に
身を投げ出して声をあげて泣きくずれ、釈尊に向かって申し上げた。


「世尊、わたしはこれまでに何の罪があって、このような悪い子を生んだ
のでしょうか。
世尊もどういった因縁があって、あのような提婆達多と親族でいらっしゃる
のでしょうか。


どうか、世尊、わたしのために憂いも悩みもない世界をお教えください。
わたしはそのような世界に生まれたいと思います。・・・・」と


この請いに答えて、お釈迦さまは数限り無い仏がたの世界を
お見せになりました。


そこで韋提希は、さまざまな仏の世界の中でも、阿弥陀仏のもとに
生まれたいと思います。
どうか世尊、わたしにその極楽世界のすがたを思い描く方法をお教えください。
そして、そのすがたとわたしの心が一つになり、観が成就する方法を
お教えください。」と重ねてお願いします。    


お釈迦さまは、そこで精神を統一して浄土と阿弥陀仏や菩薩たちを
観想する、十三の観法や、精神を統一しないままで修する善を説いて
いかれます。


しかし、お釈迦さまが本当に説きたかったのは、こうした厳しい修行ではなく、
お念仏の教えであったというのです。


では、なぜ厳しい修行を説かれたのか、それは韋提希夫人が、どんな
努力をすればお浄土を見、感じることができるかとお尋ねしたためです。


自分の力を頼りとして努力する「自力」こそがすべてという考え方の人に
対して、最初からそれを、否定するのではなく、まずは厳しい修行の方法から
説きはじめ、最後にはすべての人が救われる方法、お念仏の教えを
説かれたのです。


観無量寿経の大半が、自力の修行法が説かれているのは、韋提希の
問いにお答えになったためだからです。


私たちは、自分の考えから先に話、相手の問いに答えようとしません。

まずは、相手の質問に答えそれから真実をとく、それだからお釈迦さまの
教えが伝わっていったのでしょう。


相手の問いに答える、それから真実を説く、日頃から、自己主張ばかりを
するのではなく、このことを忘れたくないものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月3日に新しい内容に変わります。