第639回 味わい方により

 平成17年 4月 21日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

受け取り方によって、その後の対応が大きく違うものです。

今中国で、反日のデモが行われています。あの天安門事件や
紅衛兵の時代を思い出させるように、若者が中心となって、
道路を埋め尽くし、デモしています。


日本大使館や日本料理の店に対しての投石やインク、ペット
ボトルなどが投げ込まれ、日本製の車が傷つけられている映像が、
週末になると流れています。


今回はインターネットによる情報で、若者達は集まって
来ていると言います。


 最初の呼びかけは、中国国内からではなく、アメリカにある
朝鮮半島出身者のNPOのグループからの発信だったと、
TVは伝えています。


戦後60年、戦争を知らない世代が中心となっての反日のデモ、
加害者であった日本の若者には、どうしてなのか、その意味さえ
理解出来ていないのではないかと、感じます。


 
  日本は祖父の時代に、東南アジアや中国大陸へ軍隊を
派遣しました。
しかし、民族独立に力を貸してくれたということで、インドネシアや
台湾では、日本に対する感情は今でも非常に良いといいます。

これに対して 中国や韓国では侵略者であると、未だに悪い感情が
残っているのです。


戦争を知らない世代に大人たちがどのように伝えていったかによって
違いがあるのではないかと思います。


次の世代に何をどのように伝えていくのか、それには、現状を
どう受け止めているかによって違いが出てくるのだろうと思います。


 今こうして豊かで幸せな毎日を送れるのは、どうしてなのか、
あの方々のお陰だと感謝出来る状態の時には、悪意は起こって
こないものです。


何でこんな状態なのか、という不満があるときに恨みが、憎しみが
わいてくるものです。
そういう意味では、反日の感情が残るところには、今現在に不満、
不平があるからなのかもしれません。


今が喜べるのか、今が不満なのか、これは私自身の日常でも
いえることです。


こうして元気で生活出来るのも、父母のお陰、あの方のお陰、
皆さんのお陰と言える生活は、今喜びがあるのだと思います。


そして、南无阿弥陀仏も素直に出てくるものです。

現状に不満があると、悔しい憎い、許せぬとなってしまい、
腹立たしく南无阿弥陀仏も出てきません


同じことなら、ありがとうございますと言えるような、心豊かな
状態でありたいものです。 
私の生活は、昔と比較して、誰かと比べて喜ぶものではなく、
また自分一人だけで喜ぶものでもありません。


お聴聞し、仏さまの話を聞かせていただくことで、真実の教えに
出会えば、その喜びはなお一層確かのものとして味わえて
くるものです。


同じ人生なら、味わい深い、喜び多い毎日をそして、次の世代に
喜びを伝えていけるような、そんな生活を送らせていただきたい
ものです。


南无阿弥陀仏と一緒の生活をすると、尚一層スパイスが効いた
人生となるものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、4月28日に新しい内容に変わります。