第697回 ありがたい

 平成 18年 6月 1日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんな文章に出あいました。

金子大栄先生の「ありがたさについて」という本の一節です。

 私が使っている言葉で、仏法をおもわせるものがないかというときに、
すぐでてくるのは「ありがとう」という言葉であります。


日本人同士は、何か互いに親切にすると「ありがとう」という。
私はあなたにお礼をするとはいわない。外国の人はサンキューという。
あれをもう一つ くわしくいうとアイサンクユー(わたしがあなたに感謝する)
ということなのでしょう。


日本の人も実際はそうなのでしょう。
けれども、私たちの国語では、アイもユーも略してしまって、ありがとうだけです。

あれがじつにおもしろい。
アイとユーとの間柄においてサンクをつけるかどうか。
アイとユーとの間において感謝するという言葉ができてきたのであるか。
それともありがとうという関係において私とあなたがおるのだということに
なるのであるか。


 アイともユーともいわないで、ありがとうという言葉だけであらわすときには、
親切をしてくださった向こうに対してお礼をいうだけでなく、親切にして
いただいた自分もありがたいということでありましょう。


自分のような者があなたにそういうふうにお世話していただくまわり合わせであり
因縁であることは非常にありがたいことである。


そうすれば、あなたもまた私のような人間に対して、そういうことをなさる気持ちに
なってくださったことはありがたい、ということであります。


どうしてこういうことになったのかと親先祖までもたずねんならんことになる。
宿世にものを尋ねなければならないことになる。だから、ありがたいという
関係はきわまりがないのでありましょう。


そのありがたいという大きな空気のなかにアイとユーとを浮かびだしたのが
ありがたいという言葉の感じではないでしょうか。


 という文章です。

私たちは知らず知らずに、そこにいる人間だけではなく、あらゆる人びと
多くの見えない力を感じて生きているのではないでしょうか。
眼に見えるもの、私が知っている、感じているものだけではない、
大きな力を味わいつつ、生きているのではないでしょうか


日頃はそのことを忘れているものの、ふとした拍子に、その大きな力に
気づいたとき、私の人生はもっともっと味わい深いものと変わってくるのだと
思います。


それこそが仏を感じることでありましょうし、南无阿弥陀仏がふと口に出たときも、
その大きな力の中にいることを、まさしく仏さまの働きが、ここにあることを
感じることが出来るのではないでしょうか。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月8日に新しい内容に変わります。

     金子大栄著 「ありがたさについて」 コマ文庫発行 在家仏教協会発売