第720回 誰かのために

 平成18年11月 9日〜

妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございました。

TVをみていましたら、日本に滞在する、一人の中国人のドキュメントを
やっていました。北海道の過疎地に開設された日本語学校に留学して
きたものの、アルバイトをして生活費を稼ぐことが出来なくて、そこから
抜け出し東京で生活する、初老の男性の物語です。


中国では、文化大革命という激動の時代がありました。
都会に住む若者たちは、全国各地の農村地帯へ強制的に移動させられました。

その農村では、住んでいる人びとだけでも生活が苦しいのに、都会から
やってきた若者のための食料などとてもなく、大変に苦しい青春時代だった
といいます。


やがて、文化革命も終わり、生まれ故郷の都会へ帰ったものの、何の教育も
受けていない青年に働く場所はなかったといいます。


 そうしたときに、日本の産炭地が過疎対策で思いついた、外国人のための
日本語学校を知り、夢を抱いて応募してきたのです。


その費用は、夫婦が10年間働いた給料にあたる40万円でしたが、
借金しそれを払い、35歳で日本に来たというのです。


しかし、過疎地にある学校では、自分の生活費を稼ぐことが出来ません。

そこで、やむなく東京に脱出し、不法滞在者となって働き続け、稼いだ
お金を中国の家族へ送金する生活をしていました。


中国に残された妻と一人娘のところに、日本で働く父親の姿を映したビデオを、
TV局が持ち込みました。


中華料理のコックや皿洗い、ビルの清掃など、一日に三つの仕事をこなしながら、
お金を送り続ける父親の姿を初めて見て、自分たちを捨てたのではなく、
娘に夢を託した親の姿を、その苦労をつぶさに知り涙する娘と母親。


 別れて8年、小学生だった娘も、アメリカの大学に留学するために旅立つことになり、
その途中、わずか24時間だけ、東京に立ち寄り、父親に再開します。


涙の再開そして、別れ、不法滞在の父親は身分証明書の提示が求められる
可能性のある成田空港まで、送ることもできずに、ひと駅前で下車して
別れねばならない、寂しさ。


それからも、子どもに夢を託す必死の親の働きは続きます。

妻は、アメリカの娘の所を訪ねようとビザの申請を繰り返しますが、なかなか
許可は降りず、それから五年、やっとのことで申請が通り、娘の所に行く途中で、
夫婦は13年ぶりに、東京で、わずか72時間だけ再開します。

喜びもつかの間、また別れ別れになり、父親はふたたび仕送りのための
仕事が続きます。


医者になった娘がアメリカから帰国するのに合わせて、父親も長い出稼ぎを
終えて、中国へ帰っていくことになったという、長期取材の感動的な物語です。


 いま日本でも、子どもの学費を稼ぐために多くの親たちが必死になって
働いています。


可愛い子どもに夢を託して働いていますが、受け取る子どもたちには、
その苦労が十分には伝わっていないのが現実のようです。


 ふと、阿弥陀様のご苦労や、親鸞聖人のご苦労の話を思い出しました。

お寺の法座で、繰り返し繰り返し、この私のためにご苦労いただいた法蔵菩薩や
親鸞聖人、そのご苦労を少しでも味わうことが出来ると、気づかずにいた私の親や、
周りの人びとの思いが、少しは味わうことが出来て、この私の人生は大きく転じられ、
味わい深いものに変わることに、気づきました。


それとともに、自分のために努力することよりも、誰かのために努力することの方が
喜びも多いという人間の本質も教えていただいているようです。


それは自分の子どもに対してだけではなく、もっと多くの人のために努力出来る
ようになったとき、仏様の働きが少しは味わえたのではないかと思います


仏様や、近くにいる親たちの働きを、少しでも真似して、努力できるようになることを、
お念仏の教えは、気づかせようとしていただいているのだと味わいます。


なにも期待せず、自分でやれることを精一杯つとめさせていただく、
南无阿弥陀仏を口にし 耳に聞きながら、それが人間としての一番の喜びであり、
生きがいが得られるのだと思います。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月16日に新しい内容に変わります。