第750回 あなたの願いは 何ですか

 平成19年 6月7日〜

妙念寺電話サービスお電話いただきありがとうございます。
ところで こんな文章に出会いました。

願いというのは 方向性の問題です。

皆さんは、自分の人生をどちらを向いて生きたいと思っておられますか。
その生きる方向が願いです。

案外、願いを持たないで生きている人が多いのではないかと思います。
本当の願いを、一生を貫くような願いを持たずに生きている人が多いのです。

テレビでおいしいラーメン屋を知ったら「いっぺん食べてみたいな」と
いうような願いは
 いのちの根本的な願いではありません。

店の前を通ったらきれいな着物があった。
「いっぺん着てみたいなあ、もうちょっと若けりゃ」と思う。
これも願いですが[いのち]の根本の願いではないでしょう。
私たちはこのいのちを本当に、どう生きたいかという願いがわからなく
なっています。


若い者に、「お前いくつになるんや。もう二十歳になって、いつまで、
ふらふらしとるのか。

お前は、自分の人生どうしたいのか」とか、「シャンとせにゃいかんぞ」
と言いますが。

言っている本人はどうしたいのかというと、何もないのです。
何となく元気で、長生きして、うまいもん食べて、いっぺんでも多く
遊びに行って「それで終わったらいい」ということになっているのでは
ないでしょうか。


自分の願いがはっきりしていません。願いがないということは、人生の
方向が定まらないということです。
方向の定まらない、願いのない人の人生を「迷い」というのです。


方向が定まらないから、結局皆が並んでいたら、私もあとについて並んで
みよう。
大きな声が聞こえると、私もそちらに行こう。あの人がああいったから
あっちに行ってみよう。


この人がこういったからと、一生涯、方向が定まらない人生をたどるのです。

阿弥陀様は、そこのところがはっきりしているのです。

「あなたたちに こうしてあげたい」そのためには「こうしよう」
ということが、阿弥陀さまは はっきりしているのです。

その願いを私たちにわかりやすいように
 物語として明らかにし、
四十八の願いとして 明らかにしてくださったのです。


それが「本願」です。
本願は あなたが本当に願っている願いを叶えてあげましょうという
如来さまの願いなのです。


坂村真民さんの詩に「草も、鳥も、愚痴一つこぼさずに精一杯生きている」
他のいのちは 全部、それぞれのいのちを精一杯生きているのです。

だから花も輝き、鳥も輝いているのです。
人間だけが輝いていないのではないでしょうか。


自分の いのちの一杯を生きる。
百パーセント生きるのが仏教でいう本当の「楽」なのです。

その楽が極まった世界が 極楽なのです。

それぞれのいのちを力いっぱい生きて、他のいのちを照らし、
他のいのちのお役に立つうように生きるいのちの住む世界、
それが仏さまの国 お浄土なのです。


その方向を示していただくのが お念仏の働きです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月14日に新しい内容に変わります。

    藤田徹文著  いのちの願い  法蔵館発行より

         


           私も一言(伝言板)