第775回 感謝する だけでなく

 平成19年 11月 29日〜

妙念寺電話サービス お電話 ありがとうございます。


お参りの途中 ラジオを聞いていましたら、四国の巡礼を続けているという
ジャーナリストの方のインタビューが 流れていました。

お遍路が通る道、その地元の人たちが 「御接待」といって 飲み物や食べ物 
あるいは お賽銭を 巡礼する人々に布施していただくというのです。

見知らぬ人々に 繰り返し繰り返し この御接待を受けていると 
自分は 多くの人に支えられ 見守られ、助けられて 生きていることが
身をもって味わえ、直接出会った人に対しては勿論ですが、そればかりではなく 

足にはいている靴までも とても 有難く思えてくると 感動的に話しておられました。

靴ばかりではなく 手に持った杖も かぶっている傘も 身の回りのものすべてに
感謝の気持ちがわいてきて、やがて 雨が降っても風が吹いても 空気も 雲も 
ありとあらゆるものが 有難くなって 苦しい中に 喜びが満ち満ちてくるという
お話でした。


私は 車で移動の途中ですので ほんの一部分しか聞けませんでしたが
体を酷使して 時間をかけて 一歩一歩 歩くことで 地元の人々や 
巡礼する仲間との触れ合いによって 日常では得られない 感動を感じる
ことができるとの話だったように思えます。

特に 今 人間関係が希薄な 若者は 見知らぬ多くの人々に この御接待を受け
非常に感動する人があるといいます

ご自分の体験談として、疲れ果てて もう歩けない とうずくまっている時
不思議に いつも通りかかった 地元のおばあちゃんに助けられたといいます。

お賽銭として ガマ口の中から 百円玉を 二つ三つ出しては 手渡していただき、
お互いに 手をあわせ 合掌したあと しばらく たわいない話をしていると
さっきまでの疲れは 嘘のように消え去って また 歩き始める力が与えられると
いう経験を数多く持ったということです。

まるで 仏さまに出会って会話したように 力が湧いて来ると、そうした
感動が忘れられなくて また 巡礼に出かけるのだということです。・・・・・


このお話を聞きながら 体で体験して会得できることと お聴聞することで
味わえることと 共通するところが あるのではないかと 思いました。

仏様の 法蔵菩薩のご苦労を 親鸞聖人のご苦労を そして 自分たちの
親や 祖先のご苦労を 聞かせていただくことで すべてが当たり前で 
感動の少ない生活の繰り返しの中で、 忘れていた多くの人々の善意や 
太陽や雲や風や土や水 ありとあらゆるものが この私のために 
私を活かし続けるために 黙々と働いていただいているということを 
法座でのお話を通して 気付かせていただくのに よく似ているように思います。


そして 日常の生活を しっかりと見つめることで 自分自身を見つめ直すことで
生きていく勇気と 行動する活力を蘇らせていただくことが出来ることに とても
近い気がします。


ただ 四国巡礼では 味わえないことが お念仏の教えにはあるようです。
この私もやがて 命おわれば すべての人のために働く 阿弥陀如来と
同じ力をえて 仏の仲間として活躍できるということです。

いま すでに その仲間であるという ことが味わえると 人間の親切に触れた以上に
もっともっと  大きな 崇高な望みや 願いが 受け取れるのです。

この世の限られた いのちだけではなく、お浄土へ生まれたあとまでも 南無阿弥陀仏の
お念仏となって 働くことができるのだと。

時間を作って この身を 痛めつけることをしなくても 毎日のお勤めの時、
日常生活の中で お聴聞で味わったお念仏の喜びを 南無阿弥陀仏を聞きながら 
生きていけば 感動的な新鮮な驚きの生活が 与えられるのです。 

お釈迦さまが説かれた このお念仏で救われるという教えを 私に伝えていただいた 
そのお蔭で わざわざ出かけることもなく、いまここで 南無阿弥陀仏の声を
聞くことで 限りない喜びと出会うことができることを 有難く味わいました。

いつも傍にいて 南無阿弥陀仏と呼びかけていただくことを 誠に有難く
受けとりたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月6日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)