第788回 愚者になりて

 平成20年 2月28日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

一か月の 日数が少ない 2月は なんとなく気がせき 追いかけられるような
気がするものです。
4年に一回 29日まである 閏年の今年は 一日多いことが とても
 有難く
思われるものです。


閏年には オリンピックが開かれますが お隣 中国でも 開会まで残りわずかと 
せわしい毎日だろうと思います。

 ところで スポーツの選手や俳優やタレント、政治家など 多くの人から注目される
人が 生まれ育った出身地に帰って 予想もしない多くの人々が 自分のことを
見守り 応援してくれたことを あらためて知らされ 感動している姿を見ることが
あります。

友達は勿論 親戚や先輩 同郷というだけで 自分のことをわが子のように
兄弟のように 応援していてくれたこと ふるさとへ帰って 初めて知って
の感動でしょう。

私たちは テレビや新聞に取り上げられて 大騒ぎをされるわけではありませんが、
私の気づかないところで 多くの人々が 私のことを支え 見守り 心配して
くれているのだろうと 思います。

手紙や電話などで 連絡してくれなくても 直接声をかけてくれなくても
だまって ひそかに応援して励ましてくれている方々があるのに 気づかない
だけではないかと 思います。


人間だけではなく 太陽や空気や月や水や あらゆる自然、そして この私を
生かして活躍させるために その命をなげだした 多くの家畜や魚 穀物や果物など
支えてくれるものの多いことに気付くと この人生はとてもすばらしく
とても ぼんやりとは過ごせない思いになってくるものです。

何か一つでも そうしたものに 気づいたら その何十倍も 何百倍も
何千倍もの多くの力が働いてこの一つの命、私のいのちを支え応援してくれている
そう味わえる人生と 誰の世話にならず 自分は自分一人で自分の力で 努力で
生きていると思う生活 はたして どちらが 生きがいや喜びが多くなることでしょうか。

親鸞聖人は 法然上人の元で教えを受けるようになられて、わずかの間に
お師匠様の大事な書物 選択集を書写することを許されたと 感激されています。

この選択集は お弟子さんたち 200人から300人あった中で わずかに 11人しか
書写を許されなかったと言われます。


その恩恵に浴されたのは 他力ということを よく味わわれたためではないかと
言われます。

比叡山で修行をして 自分の力 自分の努力 その思いから 全く離れて
仏様のはたらき を 愚者となって 味わうことが出来た方だっただろうと
言われます。

どうしても 私 私 私の思いから 自己中心から 抜けきらない私たちですが 
親鸞聖人は 阿弥陀様の呼びかけ 働きかけをちゃんと味わうことが出来た方
だったのでしょう。

親鸞聖人のお手紙の中に 「故法然聖人は、『浄土宗の人は愚者になりて往生す』と
候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、・・・・」と

仰せになっています。

愚者になって 仏様の仰せを素直に聞くことのできる そんな私に
なりたいものだと思います。

私が思う以上に 思っていただく方があったのだと 気づかせていただきたいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 36日に新しい内容に変わります。

         


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