第807回 見る人の能力で

  
平成20年 7月10日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

こんな話を聞きました。

智慧第一と言われる 舎利弗がまだ 修行中のことです。
お釈迦さまが 仏国土とは 何かと説かれているところが、維摩経の最初にあるといいます
(どなたか 正確に教えてください)


バイシャリーの街で 釈尊が お説教をされて 今私が見る この街は七宝で荘厳され
台地に高下もなく塵一つない これが私の果報であると、お説きになったといいます。


しかし、舎利弗が 疑問を抱きました。
自分が見ている その街は 決して美しい街ではないのです。


釈尊が 何故そんなことを言われるのか 、どうしてもわかりませんでした。

それを 察した 帝釈天が いま お釈迦さまが 見ておられる街は お釈迦さまの
目には すばらしい世界として映っているのだよ。


人は その能力によって 見ることのできる世界が違ってくるものである。

自分が養った能力以上のものは 見ることが出来ないのだと 教えてくれたといいます。

それでも 舎利弗は 不満でした。
どうみても 自分が見るその街は いつもの汚い街でしかないのです。


お釈迦さまは その舎利弗の疑問に答えようと 実感させてあげようとされました。

私の見る世界は こんなものだと、舎利弗に 体験させられたといいます。

その世界は お釈迦さまがおっしゃるとおり、七宝で荘厳され 金銀宝石が一杯の
お浄土のようなすばらしい姿であったといいます。


見る人の心によって 見る人の能力によって 見る世界が違ってくる。

見ている人の心が 汚れていれば 美しいものを見ても 汚く映るのかもしれません。

私たちは 自分中心で 自分の都合のいいように 世界を見ているのであって、
その姿の本質を 正しく見ているわけではないようです。


ですから 私たちから見れば 平凡なものも 仏さまの目からみると
すばらしい姿に見ていただいているのだろうと 思います。

 仏さまは、どんなものも 人間だけではなく 生き物すべて 生き物でない 
石や水や山や 山川草木 あらゆるものの 本質を素晴らしい存在であると 
見ていただいていると思います。


それなのに 私たちは 自己中心の目で 表面的なものしか 見ていないので
その良さや すばらしさに気づいていないのだろうと 思います。

南無阿弥陀仏の人は やがて お浄土に生まれれば 仏さまと同じように
その本質を見ることが出来るようになるのです。

舎利弗が 体験させていただいたように この目で 真実の姿を見ることが
出来るのです。

この私が今見ているこの世界が どのように映るのか。楽しみですし、 
その本質を すこしでも味わえるように 見えるようになるよう 今から 
心がけてみたいと思います。南無阿弥陀仏のお念仏を口にしながら。


妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、7月17日に 新しい内容に変わります。            


         


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