第879回 ローマの休日  〜同じ一生ならば〜

 
平成21年 11月26日

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

数日前 衛星放送で 昔懐かしい映画を後半部分だけ見ました。

王女であることの不自由さから 逃げ出したいと オードリーヘップバーン演じる
一人の王女様が 特ダネを取りたい外人記者の案内で ローマの街を縦横に
駆け巡り 自由を満喫するお話です。

自分の責任から逃れたいと 思ったものの 王女としての責務を捨てきらず
自由きままな生活を 振り切り 投げ捨てて 
王女として生きていくことを決心するという結末です。

見ていて感じました。
世の中には 自分はこのままでいいのだろうか もっと違う世界があるの
ではないかと 悩みながら 吹き切れずにいる人が多いものです。

自営業の跡取りとか 二代目経営者、あるいはこのままサラリーマンでいいのか。
ただの 主婦として 妻として 母として 生きていていいものか。

この不自由さ 重圧から逃げ出したいと思いながらも それもできず
ぐずぐず もやもやしながら 暗い毎日を送っている人たちです。

食べるためや 雑務に追われて考える余裕もない時には とてもそんな
悩みを持つ時間はないのでしょうが、ふと余裕が出来て 
自分の置かれた立場を見ると、不安や不満が充満してくるのでしょう。

ことによると 余裕ができた贅沢病かもしれませんが 思い切って 
これしかないと はっきりと腹を決め切らない人たちです。

この王女さまも 自分の置かれた立場に 迷っていたのでしょう。
しかし、自分だけのためではなく 多くの人びとへの
責任を感じた時 自分は 自分の置かれた立場を生き抜くしか方法がない
同じことなら 嫌々ではなく 進んで その役を務めていこうと
ローマの街で 楽しい思い出を通して 決心したのだろうと思います。

映像が白黒ですから もう 数十年前に作られた映画でしょうが、
そうした 人間の抱える問題は 時代が変わっても変わることなく
こうして 繰り返し放送され感動を与えているのだろうと 思いました。

そして これでいいのだ この立場をこの人生を
迷わず 精一杯生きぬくこと それが 自分に与えられた使命であると
はっきりと踏み出させてくれるのが 私たちにとっては
お念仏の教えではないかと感じています。

ああだ こうだと迷わずに この道しかないと 分かったら積極的に
進んで行こう 苦しいからとか 辛いからとか 自分には向いていない
とか 悩まずに 自分でやれることを 十分にやって それでいいのだ
いろいろあっても お念仏の人は 必ず 仏にする やがて仏として
活躍できるのだ


心配しなくていいのだよ 今この瞬間を十分に
生きていきなさいと
 呼びかけ励ましてくださる
それが 南無阿弥陀仏のお念仏の働きではないかと 感じました。

ローマの休日を 見ながら ぐずぐず言わず、やりたいことがあるのなら
さっさと やってみなさい、そうすれば やはり 自分の出来ることは
これしかないのだと はっきりと確認できる。

そのための区切が 王女さまにとっては ローマの一日だったのでしょうが
私にとっては その踏ん切りをつけてくださるのが、お念仏との出会い
お念仏の働きなのだと思います。

やがて仏になるとは 自分の幸せだけに生きるのではなく 多くの人の
幸せのために生きることを意味します。


同じことなら 同じ一生ならば 喜んで楽しんで 自分が出来ることを 
精一杯やらしていただこう 南無阿弥陀仏を口にし 南無阿弥陀仏を聞きながら
南無阿弥陀仏とともに。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は 12月3日に新しい内容に変わります。

         


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