第890回 ア ア そうか そうなんだ 〜 究極の目的へ 〜

 
平成22年 2月 11日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

また 一人 有難い ご近所の住職が ご往生されました。
二男坊として お寺に生まれた方ですが、学徒動員で 戦争へ駆り出され 
やっとの思いで 生還してみると お兄さんは シベリヤへ抑留され
そこで 病死され 兄に代わって 生まれ育ったお寺を 継がれた方です。

飛行機や 軍艦を作るためだと 本堂の仏具は ほとんどが供出され何もなく 
仕方なしに 有田焼の香炉や 花瓶 ろうそく立てを 作ってもらい
それを いまだに大事に使っておられる方でした。

仏教壮年会や 仏教青年会の 活動もされ ご自分のご門徒だけではなく
広く呼び掛けて ただ教えを聞くだけにとどまらず 社会参加をするように
はたらきかけていただいた方でもありました。

忘れられない言葉の一つに 「われわれは 阿弥陀さまのはたらきの邪魔を
しなければ それで 充分 自分で何かしようと思うと まちがう 阿弥陀さまの
はたらきに 素直に従えばそれでいい」 と おっしゃっていたことです。

  いろいろの思い出を 考えているとき  ふと 思いました。


弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて 
念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益に
あづけしめたまふなり。と 

 歎異抄にありますが、

疑いがなくなれば お浄土に生まれるということが 信じられてくるのだなあと。

このたび 往生された先輩が 「阿弥陀さまの邪魔をしなければ 立派な住職だ」と

こちらを向いて 呼びかけておられると 信じられれば。

念仏の人を 私の親しい友達と 呼びかけていただいている方が あると
信じられれば。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と 私が口にするように すべての仏さまが
お念仏しておられると 信じられれば。

南無阿弥陀仏を称えれば 十方無量の諸佛は 私を何重にも何重にも取り囲み
喜んで まもっていただいていると 信じられれば、うれしくてうれしくて。

あの気難しい口やかましい方も この私の為を思って 悪役を演じていただいていると
思えれば 信じられれば 有難いことです。


何ごとも順調に たとえ失敗と 今は思えても やるべきことをちゃんとやっていれば 
南無阿弥陀仏を 口に 自分で良いとおもえることを 素直にやれば それは

一番いい方向へ 進んでいると。

南無阿弥陀仏を信じ、口にして くじけずに歩んでゆけます。

子供のころ 細い平均台を 怖がれば すぐ落ちたものの 大丈夫とまっすぐ
歩けば 渡りきれたように、大丈夫みんな通っている道、先祖も通った道だと。

阿弥陀さまが 前から呼びかけ お釈迦さまが 後ろから励ましておられる。
南無阿弥陀仏を 信じて 歩いていけば 間違いないのだ それでいいのだと
分かったように思えました。


 世間では ああすればこうなる こうすれば ああなると 勝手に決めて
思い込み 自分のわがままな結果だけを期待して 進んでいますが 
それは なかなか自分の思いどおりに 予想どおりにはならないことばかり 
期待を裏切られることが 多いものです。

ところが 南無阿弥陀仏を 信じ 念仏している人は もっと遠い目標
目先の小さなことではなく もっと最終的な 究極の目標に向かって 進んでいく
それで 途中で断念したり 挫折したりすることもなく コツコツと 忍耐強く
歩むことができるのでしょう。

 ああ そうなんだ 南無阿弥陀仏を 信じ 南無阿弥陀仏と共に歩めば
間違は一つもないのだ、みんな 一番いい方向へ 歩ませていただいて
いるのだあと 思いつきました。

 みんなで 見守り 導き 応援していただいているのだと、味わえれば
もっとこの人生は意味ある 喜び多いものとなることでしょう。

そして こんなことでは 申し訳ない もったいない ありがとうございますと。
次回は 2月 18日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)