第901回 栄光への脱出 〜五濁悪世から〜

 平成22年 4月29日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

 750回大遠忌のお待ち受けの行事として 組の総代さんたちが 
企画された シンポジュウムが行われました。

「他力」 ということ 「他力本願」ということを 教区の学者さんたちにも
協力いただき 話し合いが行われ 多くの方が参加されました。

浄土真宗は 全員聞法 全員伝道の教えです。専門家が教えるもの、 
それを一般の人が 受け取るというだけではなく みんなで 教えを
伝えようというところに特徴があります。

問題提起をしていただいた先生は パワーポイントを使って 文字を
映像化して 出来るだけわかりやすく しようと工夫していただきましたし、
パネラーの先生方も やさしく分かりやすくと ご努力いただき 

予定の時間を オーバーしての 熱心な会でした。

 お話を聞いていて 感じたことは どうも根本のところでの理解が
もう一歩 共通でないのではないかと 言うことでした。

子供の頃から 学校で習ってきたこと 社会に出て 教えられた知識 
常識だけでは すべての人が 本当の幸せにはならない。

選ばれた人 特別の人だけでなく すべての人を幸せにする そんな理想が
あるのだと 釈尊が説かれたのが 阿弥陀如来の浄土というもの 
その理想とは どんなものかと味わいながら その方向へ近づきたいと 
生きるということ それが 念仏の生活ということを もっと強調すべき
ではないかと 感じました。



 最初から 教えありき お念仏ありき 自力ではなく 他力であると
理解している人が 同じように理解している人の前で説くのではなく 
現状をいかにうまく生き抜くか それが素晴らしい人生と思い込んでいる
人たちに 説くときとは その説き方も おのずから違ってくるのだと思います。


世間の常識が ただ一つの価値観ではなく まるで違った価値観、
まるで違った理想があるのだという 根本のところを 共通理解しておく
必要があるように 感じました。

その前提を はっきりとして スタートしないと 現状肯定の人たちには 
なかなか難しい さっぱりわり分からない お話となってしまうのではないか
ということです。

それぞれの理解が 違っているということを もっとはっきりと最初に示す
必要があるのではないかと 感じました。

生老病死 人間は 生まれれば 必ず年を取り 老けていき 病気にもなり
やがて死なねばならない。それを 逃れよう 忘れよう としてあくせくとして
生きている人たち それが現代の多くの人たちであるとの前提で 
話を進める必要があるようです。

 たまたま 法友のブログに イスラエルで生活する若い日本人に出あって 
新たな発見をしたと書かれ イスラエル建国を描いた映画 
 栄光への脱出の
テーマ音楽を 掲載されているのに出あいました。


そしてそのテーマ音楽を聴きながら お念仏の教えとは この娑婆世界を
脱出して 阿弥陀如来の理想の国の方向へ 向おうとすることではないかと 
感じています。 

現状肯定 いかに上手にこの社会を生きるかというのではなく 理想の国があり 
内にも外にも大きな障害があるものの、それを乗り越えて 理想へ 向かう 
そうすることで そういう価値観を得ることで 
新たな発見が 喜びが 生きがいが 希望が芽生えてくるものである。

 そのことには 自力 自分の力で 努力する だけでは 無理な話。

お釈迦さまが説いていただいた その理想の国のこと 七高僧や 親鸞聖人が
やさしく表現していただいた その理想の内容を 聞き取り 自分が転換する
ことそれが お念仏に出遇うことであると 感じています。

 それも同じことなら ラジオ第二放送ではなく ラジオ第一 教育テレビ
ではなく 総合テレビ それも ゴールデンタイムでも 放送できる 

中学生でも理解できる 興味が持てる内容に出来たらと思います。

一部の専門家 一部の興味のある人だけではなく より多くの人に
味わえてもらえる内容になればと 感じます。

お念仏とは 新たな発見 新たな価値観があること それは 
自己中心であることを気づかせ、それを否定する世界があることへの気づき、
味わうことだろうと 思います。


自分のこれまでの価値観から 新たな価値観への 栄光ある脱出だと 
味わいます。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 56日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)