第925回 そのうちお世話に 〜今必要なのが この教え〜

平成22年 10月 14日〜

よく聞く言葉に 「そのうちにお世話に ならにゃあならんので よろしく」
という言葉です。
男性の方が多いようで 今は お寺も住職も必要としないけれども そのうち 
自分が死を迎えた時がくるので その時には どうぞ よろしくという お気持ちを
 
表したものではないかと思います。


葬式や その後の法事など 将来お世話になりますが 今は まだ大丈夫ですと
いうことなのでしょう。


しかし、宗教は 将来のためのものではなく 今現在必要なものではないでしょうか
それを どうしても うまく表現し 適切に説明することができないもどかしさがあります。

死んだら必要なものというのは ホトケというものが 死んだ人のことをいい いろいろの
作法も お経も 生きている人のためではなく 死んだ人のためだとの思いがあるから
なのでしょう。


ところが 仏さまは 死んだ人のことではなくて 生きている私たちのために働きかけて
いただく方 将来ではなく 今現にこの私の為にはたらいておられることに気づくか、

気づかないかで 人生が ものの見方、考え方が変わってくるということでしょう。

仏教的なご縁の無い方は 仏事は 自分とは関係ない死んだ人のために 行われている
やがて 自分もお世話にならねばならないが まだまだ元気だし大丈夫というのが
普通の感覚の様です。

 ご両親が 亡くなられて 一周忌が過ぎたころから、お寺とのご縁が薄くなっていく方が
あります。

年寄りの問題が無事片付いた 自分たちはまだ若いので しばらくご無沙汰しても
いいだろうと そういう感覚ではないかと 残念に思えてなりませんし、納得いく
説明が十分できなかったためと 住職として力不足を感じます。


また、先日こんなこともありました。信号待ちをしている時に つい心を許して 
ブレーキの足が緩んでしまったのか、前に止まっていた軽乗用車に追突してしまった。


ほんのちょっとしたキズで 警察も呼ばずに修理をしてもらったら かなり大きな請求が
来てしまった。どうも 運転する自信がなくなってきた。

事故を起こした日は 帰ってすぐにお線香を付けて 怪我もなく 大きな事故にならずに
有難うございましたと ご先祖さまにお礼を言いましたよ。

守っていただいて 有難うございましたと。とのお話を聞きました。

月忌参りのご縁だけで お寺の本堂へは どうしても足を運んでくださらない方ですが、
仏教は 私のためのものとの感覚はあるものの ご先祖さまと私の関係 
阿弥陀さまという御本尊の意味がどうしても ご理解いただけない方だろうと 思います。


仏に成られたご先祖さまも 活躍いただいているでしょうが 自分の先祖だけではなく
ありとあらゆる力が この私のために働き続けていただいているそういう感覚を持たせて
いただきたいものです。


この世のご縁である 肉親とか兄弟とか 祖父母とか そうした身近な関係だけではなく
私が気づかない 多くの力が この私のために 真実の教えを伝えるために南無阿弥陀仏の
仏さまとなってはたらいて頂いている そう味わえると 喜びはもっと多くなり

将来だけではなく 今この私のための 働きであったと 喜ばれてくるものでしょう。

将来ではなく今 他の人ではなく この私のために お年寄りだけではなくこの私の為に
ご苦労頂いていると味わえてくると、私の生き方も 思いも変わってくるのではないかと
思います。


世間の常識だけで生きるのではなく 先輩たちが伝え残してくれた教えを正確に
受け取ること、それこそが 先だった方々が 今は亡き多くの先輩たちが 
一番喜んでくださることであり、次の世代の子供や孫たちへの大きな遺産と
なることでしょう。


そのうちではなく 今 南無阿弥陀仏に出あっていただきたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月20日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)