第927回 おかあさん おかあさん 〜つぶやくだけで〜

 
平成22年 10月28日〜

  親鸞聖人は 浄土和讃に

   平等心をうるときを 一子地と なづけたり
   一子地は仏性なり 安養にいたりて 覚るべし

  と 詠んでいただいています。 意訳すると
   真実報土へ往生すると一切の衆生を 平等に  
   あわれむ心がおこるものである。 
    このときを 一子地というが これはあらゆる衆生を   
    一人子のように愛する位に 名づけたもので 
   これがそのまま仏性であり それはまた浄土にいたって   
    はじめて悟られるものである。

   数多い仏さまがあっても この私を救っていただくのは
   阿弥陀如来さまだけであると うなづかれた親鸞聖人は
   日頃から

   五劫思惟の願も兆載の修行も ひとへに 親鸞一人が
     ためなりけり と仰せであったと伝えられています。

  「南無阿弥陀仏」という仏さまの名を呼ぶのは、この私ですが、
  呼ばせるのは、仏さまの慈悲の深さである。

   そして、愛を注いでくださる方の名前を、呼ばずにはおれないものです。

   こどもの歌 「おかあさん」

      おかあさん おかあさん  おかあさんてば おかあさん
    なんにもご用はないけれど  なんだか呼びたい おかあさん

               (作詞:西條八十  作曲:中山晋平)

「おかあさん」「なーに?」「ううん、なんでもない」――
    幼児はこれだけで安心するものです。幼児だけではありません。
    おとなになって、何か困難や悲しいことに出会ったときに、
   「おかあさん」とつぶやくだけで力が湧いてくるという人が少なくありません。
  「おかあさん」――有難いことばですね。

    同じように 南無阿弥陀仏も この私を勇気づけてくれる
     生きる喜びを与えてくれる言葉です。

      かぜひいた  浅原 才市
  
   かぜをひけば せきがでる  さいちは ごほうぎの かぜひいた

   おねんぶつのせきが でる でる 

    ついつい南無阿弥陀仏と 口にする。風邪を引いて咳をする
    ように自然に 南無阿弥陀仏が出てくる 出てくるありがたいことだと。

     また 金子みすずさんは  「さびしいとき

   わたしがさびしいときに、よその人は知らないの。  
      わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。 
      わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。 
      わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの

   南無阿弥陀仏を 信じ口にする生活で この私はやがて仏となり
   阿弥陀如来と同じさとりをいただく。そして、還相のはたらきが出来るのです。

   今は もう仏のなかま 南無阿弥陀仏を 聞き口に出来るのですから。

    妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
    次回は、 11日に新しい内容に変わります。

         


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