第940回 生きる意味と方向 〜私中心からの転換〜

  平成23年 1月27日〜

高校生からの仏教入門 〜釈尊から親鸞聖人〜(本願寺出版社)
小池秀章先生の本に こんなところがありました。

「救 い」という項目の中で  往生浄土
 

 ○ 生きる意味と方向

浄土真宗の救いとは、金魚すくいみたいに、ひょいっとすくってもらって、
いい世界に連れて行ってもらうようなものではありません。
また、病気を治してもらったり、さまざまな自己の願いが叶ったりすること
でもありません。


 浄土真宗の救いとは、生きる意味と方向が定まることです。
自己中心の心から離れられず、迷いの人生を生きている私に、智慧と慈悲の
世界が与えられることによって、人生のあらゆることに尊い意味を見いだす
ことができるのです。

そして、浄土という真実の世界に向かって生きることが、本当の人間として
生きる道であると、生きる方向が定まるのです。

 このように、私中心の生き方から 仏中心の生き方へと転換され、
念仏という生きる依りどころが定まった時、どんな苦難をも乗り超える
智慧と力が与えられるのです。


 ○ 往生浄土

 ただし、浄土真宗の究極的な救いは、この世の いのちが終わると同時に、
浄土に往生し 成仏する(さとりを開く)ことです。
「往生」とは、「困ること、行き詰まること」ではなく、文字通り、
「往き 生まれる」ことです。

「浄土」とは、「煩悩の汚れの無い浄らかな世界・さとりの世界」のことです。
つまり、「往生浄土」とは「浄土に 往き生まれる」ことで、それは行き詰まる
ことではなく、さとりという新しい世界が開けてくることなのです。


 ○ 現生正定聚

 しかし、このことは、決して未来の救いのみを説いているのではなく、
信心をいただいた時に、往生成仏が定まり救われるのです。
それを「現生正定聚」という言葉で表しています。
「現生」とは、この世、「正定聚」とは、正しく仏に成ることが定まった
なかまという意味です。

 つまり、信心をいただいた時、念仏という生きる依りどころが定まり、
浄土という真実の世界に導かれながら、浄土という真実の世界に向かって
生きるという生き方が与えられるのです。それを救いと言うのです。

補講−さらに深く学びたい人ヘー

〈救いについて〉

 大谷光真門主は、

私たちにとっての救いは、この世で まず、今、阿弥陀如来の智慧と慈悲に
照らされ、包まれて、いのちのゆくえを教えられることです。
そして、生きるよろこび、依りどころを与えられ、さらには心を開かれて
他のいのちと共に生きるよろこびを味わうことと言えましょう。
                   (『世のなか安穏なれ』七二頁)

こうしたところが ありました。

念仏という生きる依りどころが定まり、浄土という真実の世界に導かれながら、
浄土という真実の世界に向かって生きるという生き方が与えられるのです。
それを救いと言うのです。・・・・・

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次回は、2月3日に新しい内容に変わります。



         


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