第942回 人と宇宙との関係 〜道徳と宗教の違いは〜

 平成23年 2月10日〜

道徳と 宗教の違いは どこにあるのだろうとの質問に
外国語が堪能だった仏教学者の鈴木大拙さんは
「道徳は 社会における人と人との関係。宗教は 人と宇宙との関係」との
表現があるとの文章を見ました。


 ところで、大家族をレポートした テレビ番組で 小学低学年の子供たちが 
台所に立って煮炊きをし 食事の準備をしている姿がありました。


小さいのに頑張っているのに感心するとともに 少し可哀想にも思えましたが、
その子のお母さんは 子どもの時から ちゃんと経験しておいた方が、本人のためになると 
割り切っているとのコメントがありました。


親は 子どもの幸せを願って 教育を受けさせ 稽古事を習わせ、
家や財産を残してやるのだろうと 思います。

昔 「獅子は我が子を 谷底に落とす」とか、「可愛い子には 旅をさせろ」とか
子供の将来のことを 真剣に思うのなら 自分の力で生きていく知恵を学ばせよ。
過保護に育ってしまうと、将来大変だからということだったのでしょう。


ところが 自己反省を含めて 現代の大人たちは 子どもに苦労をさせないようにと 
辛いこと苦しいこと 厄介なことは みんな大人が 先に手を出して、子供が転ばないよう
怪我しないよう 失敗しないようにと せっかく経験し学ぶチャンスを潰してしまって
いるようにも、思えます。


お料理も 洗濯も お掃除も 近所や親戚づきあい 厄介なこと面倒なこと、
自然との向き合い方も 経験させておくことが、本人のためになるのだろうと思います。


人間と人間の関係の道徳的には 大人の手助けも可能ですが、人間と 宇宙、
人間と自然の関係は 老病死に関しても 他人の力ではどうしようもありません。


 自然の法則、動物的には 親は子を育て 巣立たせて 自立して生活できる能力を
身に付けさせることが 本当の親の務めでしょう。

巣だった子供が 新たな家族で生きていく それだけでは 余りにも淋しいので 
恩という 価値観を開発させ 将来 より広く喜びを感じさせる工夫がなされたのでは
ないでしょうか。


次の世代へ伝えることを 自分もちゃんと受け取ったという 自覚が出てきたとき 
自分のために働きかけて下さった多くの力を
 はっきりと認識できるのだろうと 思います。

それも 親の世代が 感謝する姿を ちゃんと見せておかねば 子供の世代は 
気づくことはないのでしょう。


巣だった子供が 子育てをして はじめて自分が受け継いだことが 有難く
見えてくるものでしょう。


お経を聞いて 「亡くなった方が喜んでおられる」という お祖母ちゃんに
「お母さんのために 国語の教科書を読んで聞かせて」と 昔 いったことは 
ありませんか。
親のために読んでといいながら 実は 子どもに勉強にさせようとの知恵ではないでしょうか。


親は 子どもの教科書の内容は よく分かっているのに 読んでもらって喜んで見せるのは 
子どものためだったことを。


仏教は 人間関係だけではなく 自然 宇宙との関係を教える 生きているもののための 教えです。

南無阿弥陀仏は 親が受け継ぎ 与えてくれた 私が力強く生きていく能力を開発する智慧を
知らせる言葉だろうと 思います。


妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。
次回は、217日に新しい内容に変わります。


         


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