第988回 何事も 初ごと 〜おまぜが可愛く心配で〜

 
平成23年 12月29日〜

蓮如上人の聞書に、こんなところがあります。

 ひとつのことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。
 ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、
 めづらしく初めたるやうにあるべきなり。

とあります。現代語訳では(130)
 信心をいただいた上は、同じみ教えを聴聞しても、いつも目新しくはじめて
 耳にするかのように思うべきである。

 人はとかく目新しいことを聞きたいと思うものであるが、同じみ教えを何度聞いても、
 いつも目新しくはじめて耳にするかのように受け取らなければならない。

お念仏の教えは 阿弥陀さまの救いのお話 すべてのものを南無阿弥陀仏で
救わねばおかぬとの阿弥陀さまの願いを 聞くことです。
この私を救うとの 南無阿弥陀仏を聞くことでしょう。

そして、毎回 はい はい 有り難うございますと ご返事をする  
何度聞いても そうでしたこの私のための教えでしたと 受け取ることだろうと思います。

赤尾の道宗というひとは 日頃このように言っていたともあります。
同じく 蓮如上人御一代記聞書の 131に(現代語訳)

  道宗は、 「 同じお言葉をいつも聴聞しているが、何度聞いても、はじめて
  耳にするかのように ありがたく思われる 」 といわれました。


南無阿弥陀仏は おまえを救う との呼び声 毎回毎回 そうだそうだ
この私のための南無阿弥陀仏、阿弥陀さまのはたらき 法蔵菩薩のご苦労
親鸞聖人のご苦労 そして 多くの先輩たちのご苦労であったと
味わいたいものです。

世間の話を聞くのではなく、南無阿弥陀仏を聞かせていただく毎日
ただただ おまえが可愛くて心配で、おまえ一人を救うぞとの呼び声です。
南無阿弥陀仏と聞こえたら南無阿弥陀仏と返事をする毎日でありたいものです。

 
妙念寺電話サービス 次回は 1月5日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)