(115)
子の母を
おもふが
ごとくにて
衆生仏を
憶すれば
現前当来
とほからず
如来を拝見
うたがはず
(現代語訳)
母親の愛情が注がれて子どもが母親を懐い慕うように、如来の慈悲が受けいれられて衆生が阿弥陀仏の本願を信ずる身になれば、この世においても、あるいは将来浄土に生まれても、如来は遠くかけ離れた存在ではなく、さまざまな形となって拝見できることは疑う余地もありません。
白川 晴顕師著
「浄土和讃を
読む」 342頁より