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信心歓喜慶所聞
乃曁一念至心者
南無不可思議光仏
頭面に礼し
たてまつれ
(現代語訳)
信心が開かれて名号に込められた心が受けとめられたならば、身も心もよろこびに包まれます。
それは信心を獲得した最初のとき、真実まことのはたらき手である阿弥陀仏によって与えられた、ゆるぎない安堵のよろこびです。
したがって南無阿弥陀仏に対してひざまずき、両手をのべて仏足を頭にいただいて礼拝したてまつるべきです。
白川 晴顕師著
「浄土和讃を
読む」 114頁より