(7)  清浄光明
   ならびなし

  遇斯光の
   ゆゑなれば

  一切の業繋も
   のぞこりぬ

  畢竟依を
   帰命せよ


(現代語訳)

煩悩の穢れのない阿弥陀仏の光明は、他に比べるべきものがないほど清浄であるために無対光と呼ばれています。

この光に遇って如来の本願のはたらきを信ずる身になれば、いかに罪業が重く苦悩のどん底にあっても、罪業や苦悩の束縛から離れることができます。

したがって、あらゆる衆生の究極のよりどころともなる阿弥陀仏をたよりとせずしてどうしておられましょうか。


白川 晴顕師著
「浄土和讃を
 読む」 47頁より


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