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大聖易往と
ときたまふ
浄土をうたがふ
衆生をば
無眼人とぞ
なづけたる
無耳人とぞ
のべたまふ
(現代語訳)
大聖者釈尊は、阿弥陀仏の浄土は他力によって往生する世界であるために往きやすいと説かれています。
しかし、これを疑って信じない衆生を心の内を見る眼をもたない「無眼人」と名づけ、また如来の真実の喚び声に耳を傾けない「無耳人」と名づけられました。
白川 晴顕師著
「浄土和讃を
読む」 296頁より