「親様ということ」 佐賀組 正教寺 錦織信貴師

私は東京の築地本願寺にお勤めしておりまして、佐賀にはたまにしか帰省しておりませんでした。

昨年のちょうど今頃ですが、佐賀に居ります母が腰椎の圧迫骨折で約1ヶ月程入院いたしました。知らせを聞き早速母を見舞いに帰省いたしました。ベットに横になっている母に接しまして、日頃の無沙汰を反省し、にわかに母への言葉では表せない想いがわき上がってまいりました。母の入院のこと、そして秋には自坊を会所に巡番報恩講がお勤まりになることもありまして、昨年は20数回帰省いたしました。

ある日、母の退院後、とりとめもない話をしているときでした。母が「子供達は元気にしているか。子供達はかわいいだろう?」といいました。なんでもないごく普通の言葉ですが、私には衝撃的な心に響く言葉でした。

母は、寺の坊守であると共に妻であり、4人の子の母であり、幼稚園の事務雑務をこなしてきた人でした。忙しい日々でありましたので、私は友人たちの母に比べ十分に手をかけられていない、愛情をかけられていない子だと勝手に思っておりました。しかし、母の言葉にふれたとき、私の考えは間違っていたことに気づかされました。

「百億の人に百億の母あれど わが母にまさる母 あらめもや」との先人の言葉をより深く味わうことができました。

古くから浄土真宗では、私たちのみ仏様・阿弥陀如来のことを「親様」とお呼び申し上げております。これまで私は「親様」と申し上げてもどこか素直に納得できない気持ちがありました。この時から「親様」と親しく申し上げる本当の意味が理解できました。有り難いご縁でありました。

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