「私の行方」 三根組 徳音寺 松信弘生師

先日、初七日のお仏事にお参りをしたときのことでした。お勤めを終えてお茶を頂いていると、「お坊さんに聞いてごらん」という声が聞こえてきました。3,4歳ぐらいの女の子が母親に何か尋ねているようでした。「どうしたんですか?」と聞いてみると「この子が知りたいことがあるみたいなんです」との事。今度は女の子に「どうしたの?」と、聞くと「おばあちゃんは、どこに行ったの?」「おばあちゃんは仏様になったんだよ」「えー。かわいそう。あんなに金ぴかのペンキを塗られちゃったんだ」子供らしい、可愛い意見に思わず、その場にいたみんなが笑ってしまいました。

私たちは、人の行方は気になっても、自分の行方はあまり考えないようです。これは、死後の世界のことであるという認識からでしょう。つまり私の命はまだ大丈夫だと思ってるからでしょう。

仏様は、そのような私に娑婆の命の尊さとはかなさを教えてくださり、その世界で生きている私を救いたいと願われ、必ず救うとお誓い下さいました。そして、いつも南無阿弥陀仏と喚びかけてくださいます。ところが私はその喚び声を聞こえないフリをしてしまいます。けれどもまた喚んでくださいます。この繰り返しです。生きている以上、いつかは死ななくてはなりません。それがいつかは分かりませんが、仏様はいつも一緒にいて、喚び続けてくださいます。仏様の声を無視しながら生きている私。そんな愚かな私であるから、救わずにはいれないと金色に輝き立ち上がってくださった仏様が阿弥陀如来であります。

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