「私にかけてくださる願い」 川副組 浄安寺 立花正文師

『たといわれ仏を得たらんに十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずば、正覚を取らじ』大経より頂いた御文です。

この御本願文、言い換えるならば誓願という言い方が、よりぴったりくるでしょう。願い、誓いというのは、普通に考えるならば、私が願いをかけるものです。例えば、幸せになりたい、健康になりたい、出世をしたい、など私がかけるものです。ですが、浄土真宗でいうところの願いというのは、少し違うようです。すなわち私が、かける願いではなく、阿弥陀如来様から、私にかけてくださる願いなのです。

その阿弥陀如来の御本願を聞かせていただくならば、私思いというのは、さまたげにしかならないのです。私の願いというのは吹けば飛ぶようなものです。たまたま私がご縁あって、友達と食事をしていたとします。私が食事をご馳走することにしました。けれども、その友人はお礼の言葉すら言ってくれませんでした。するとどうでしょう。親切でご馳走したつもりが、あっという間に恩着せがましい心に変わってしまうのです。

迷いの世界に生かされている私をお救い下さるのが、阿弥陀如来様です。ですが、それは私がお願いをしたから救ってくださるということではありません。迷いの世界から出ることのできない私を、見抜いてくださり、私が願うより先に、おまえを救うぞとお示し下さるのが、阿弥陀如来様の御本願なのです。

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