「もったいないという心」 武雄組 常念寺 郡敬邦師

私たちのことばは、その人の心の表れですから、心に響くことばは、終生忘れることはできません。私は本年春発行の仏教婦人会機関誌”めぐみ”を読んで、深く感銘した記事を紹介したいと思います。

それは仏婦総裁大谷範子さまが、ノーベル賞受賞者、田中耕一さんのお話を紹介されたのです。田中さんが大阪の講演会で、「あの発見は、資料がもったいなかったので生まれたのです」とお話になった。田中さんは浄土真宗の門徒で、富山別院の徳風幼稚園の卒業生です、と付け加えられました。

皆さん方で読まれた方は勿論気づかれた方もあると思いますが、私は”もったいない”ということばに感動して、私の幼少時代を懐かしく回想したのです。ごはんつぶを落としては”もったいないと”と叱られていたよき時代がありました。現在はあまり使われていませんが、もったいないとは国語辞書では(1)おしい(2)ばちがあたる(3)有難い、という意味です。

先般本願寺発行の宗報5月号では、この田中さんの発言が、マスコミの 話題となり、これは浄土真宗のゆかりのことばではないかと問い合わせがあった、と掲載されていました。私は”ああその通りです”と。歎異抄に出てる親鸞聖人の日常のことばである”かたじけなさよ”を直感したのです。かたじけなさよとは、国語辞書には(1)有難い(2)もったいない、とあるから、これは同義語に当たるのです。歎異抄後序に「聖人のつねの仰せには」とありますから、聖人のご持言として「弥陀の五劫思惟の本願は親鸞一人のためであった。されば罪深き身が救われてゆくとは、まことに本願のかたじけなさよ。もったいないことよ」(意訳)と。このご持言は、お念仏申す心を述べられたもので、我が身にとっては、かたじけなさよ、とこのご文は、まさにもったいない心、と頂いた次第であります。

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