「色々有って有り難い」 北山組 光照寺 右近隆城師

秋も深まり稲刈りの時期になると今年も農家の方は大変だっただろうと一年を振り返ります。今はほとんどが機械化されていて数日で稲刈りも済んでしまいます。しかし、昔の方は大変です。苗作り、苗代、畦塗り、田植え、田の草取り、稲刈りなどすべて手作業であったはずです。近頃、車を運転していると稲刈りが終わった田圃、最中の田圃、今から熟れるであろう田圃と色々あることに気づきます。日当たりのよい田圃、北向きの田圃、水はけのよい田圃、昔から深田と呼ばれる田圃といろいろなはずです。従って稲の生育も早かったり、遅かったりです。今は兼業農家が多くなり田圃の作業は休日や夕方からになり短い期間に済ませてしまわなければなりません。そうなると稲の生育は一律が都合が良いのです。しかし、昔の作業は一つの田圃に一日二日かかっていたら丁度次の田圃が刈り時になったことでしょう。稲も色々あったから助かったのです。

私たちも同じことが言えるのではないでしょうか。すべて一律に育ってくれたら安心するのも親心であるが、そうばかりでない。十人十色、育ち方が違うから良いのではないだろうか。悲しいことに私の目は私の都合に合わせて見えています。好き嫌い、優劣、損得などです。親鸞聖人のお言葉に阿弥陀如来を表現して「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころおおよばれず、ことばもたえたり」というお言葉もあります。色、形、心、言葉すべて私たちの争いの元のような気がします。自分の殻に閉じこもった閉鎖的な物の見方ではなく、柔軟な物の見方を頂きたいものです。

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