「親のおはたらき」 田代組 専念寺 久保山真澄師

親という漢字は「木の上に立って見る」と書きます。高く広い視野から、我が子が病気になっていないか、危ないことをしていないか、幸せであってくれよ、と見守り慈しみます。阿弥陀様も親様と言われます。人の親のずっとずっとその延長上にあって、私を慈しみ哀れみ抱きとってくださっています。

先日私はある学習会でお話をするための原稿をまとめていた時、まとまらないうちに眠くなって「明日の朝、5時か6時に起きれば十分間に合う」と思い、そのまま眠ってしまいました。次の日の朝、10年位前に亡くなった私の父の声が、私の耳元で「おい!」と聞こえて、目が覚めてみると、すでに7時を早く過ぎていました。「早く起きんと間に合わんじゃないか」と言ってくれた気がしました。

「それは貴女の勝手な思いこみでしょう!」という声が聞こえてきそうですが、そういわしめる「はたらき」があったのです。私の若い頃、母は直接的な愛で私を包んでくれましたが、父は母の後ろで、間接的な存在だと思っていました。しかし、大学生活で何かに熱中し、周りが心配した時も、連れ合いを亡くし支えを失ったときも、直接直ぐに行動して私を支えてくれたのは父でした。その事は父が亡くなった後に初めて気づきました。父はもっと大きな広い存在から私を見守り、慈しみ、抱きしめていてくれたのです。

私の幼い日、日曜学校でよく歌った歌が、今でも心を暖かくしてくれます。

のんの ののさま ほとけさま
 わたしのすきな かあさまの
 むねのように やんわりと
 だかれてみたい ほとけさま

のんの ののさま ほとけさま
 わたしのすきな とうさまの
 おててのように しっかりと
 すがってみたい ほとけさま

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