「親の喚び声」 武雄組 信行寺 楠村信英師

伝道院の住職課程を受講した折、当時大阪大学教授の大峯顕先生が「南無阿弥陀仏は生きた言葉、即ち如来が如来して下さった言葉の如来様であると申されました。一般的に人間世界では、言葉による意思の疎通、動物世界では、本能、又は鳴き声等で意思の疎通を行っています。

だから言葉一つで、お互いの関係が良くも悪くもなりますし、言葉は選んで使う必要性があると思います。

それでは、南無阿弥陀仏を称えるとはどういうことでしょうか。

我々は手を合わせるときは、大概願い事や、欲望を満たすときにそうしているように感じられます。我々の世界は、思いが通りになるときもありますが、逆にならないことが多いのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏は、親の喚び声であります。

中国の善導大師は「汝一心 正念にして 直ちに 来たれ 我よく 汝を まもらん」と言われています。

拙僧には三歳と八ヶ月の子どもが二人います。三歳の子は既に言葉をしゃべりますが、八ヶ月になる子どもはまだはっきりとした言葉でしゃべれません。

しかし、この頃はもう何回喚んだか忘れましたが、名前を喚ぶとすぐに笑顔で振り向いてくれます。八ヶ月の子どもが願っているわけでもないのに、こちらから喚び続けることによって、言葉が子どもに響き届いたのだろうと感じます。

こちら(人間世界)より願わなくても、我々のことを見抜き、無条件に喚び続けて下さる方こそが、如来様・南無阿弥陀仏であります。如来様は、決して見返りを求められるのではなく、我々を等しく平等に見守っておられる言葉の仏様です。

今の世の中を見たときに、改めて拠り所となる教えの必要性を痛感致します。親鸞聖人がお示し下さった浄土真宗・南無阿弥陀仏のみ教えを拠り所にしながら日々を送ることこそが肝要なのではないでしょうか。

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