「悩みを越える道」 牛津組 光楽寺 蒲生晄隆師

最近私の知人から尋ねられたことがあります。それは、「私の友達のお母さんが余命幾ばくも無いと打ち明けられたとき、私は友人に何も応えられなかった。あなたは、そんな時どう向き合いますか」と。

このような場合、みんなはどう応えるだろうか。そして、自分の知人や家族に余命が幾ばくもないお方がいらっしゃるとき、どう向き合えばいいでしょうか?

近年、告知の有無の問題、寝たきりの問題等々、老・病・死に関わる事柄が取り上げられることが多くなった。その事は、本人だけでなく、家族や周囲の人たちにとり大きな問題だからです。精神的・肉体的・経済的な苦痛がどうしても伴います。そして、その人の人生観や宗教の有無、生きてきた環境、性格、職業、生き様等によってそれぞれ受け止め方が異なりましょう。

患者の患は心が串刺しにされた状態です。看護士の看は、心が串刺しにされた患者さんの叫びを看て心にお世話する意です。

専門的な知識がなくても、その気持ちさえあればちょっとした表情、身振り、言葉で不安を少しでも軽くできると思います。

何か言いたいけれど、もどかしくて思うように言葉がかけられなければ、ただ傍にいるだけでもいいのではないでしょうか。その方の、心の言葉をじっと聞くだけでもいいと思います。あなたの心の温もりが伝わるはずです。老・病・死はそのまま生の問題です。実は生老病死の問題は今に始まったことではなく、二千五百年前、お釈迦さまが出家なされた動機は、この生老病死の解決に他ならなかったのです。金銭、財産、衣食住そして長寿にどれほど恵まれても自分が、何のために人間に生まれてきたか、何のためにどこに向かって生きているかが分からない人生ほど空しいものはありません。

阿弥陀様のご本願に照らされた時、さまざまな人生苦を縁として如来様のいのちのはたらきに気づかされます。それは、お浄土からのはたらきで、それはそのままお浄土への道です。私たちに生きる意欲と安心を与えます。

親鸞さまは、御和讃に『本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき 功徳の宝海満ち満ちて 煩悩の濁水へだてなし』と阿弥陀さまのはたらきを、ご本願のはたらきを喜ばれています。

『悩みの種は 尽きないが 悩みを越える道がある。それがお念仏です』。私のいのちの問題をお聴聞いたしましょう。

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