「闇を破する恵日」 三根組 聞法寺 平尾晴久師

み山がくれの桜木は 眺むる人はなけれども 春ごとに花ひらくぞかし 人のかよわぬ はにゅうの小屋にひとり住めども 心のうちに信あらば念仏称えらるべし はげめども はげめども 称えられざるは 心のうちに信なきなり

この歌を味わってみますと ひとり寂しく生きる人生であっても お念仏に生きる人生にあるならば、素晴らしい花開く生活となる慶びの思いを詠んだ歌と味わうことであります。親鸞聖人のお言葉に『無明の闇を破する恵日なり』という御文があります。無明とは光を失う、闇とは音が閉ざされた状態のことです。それは大宇宙という暗闇の世界に一人ポツンと放たれ、ひとり、さまよい続けているいるような状態であることです。私たちは、物にふれたり、さわったり、人とふれあい、人と語り合うことによって自分の存在を確かめています。それは泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりすることによって生きていることを確認しています。ということは自分の思い通りになればよし、願がかなえば喜ぶ私です。思い通りにならないと怒り、孤独だと感じたら、はやく死んだ方がまし、と愚痴こぼす私です。

この私の姿を『迷い』と仏さまは教えて下さいます。この『迷い』を迷いと知らないことを無明の闇、と示して下さいました。この『迷い』を『迷い』と知らしめて下さるはたらきを『恵日なり』と示して下さいます。この『恵日』を光明といい、無量寿仏とも阿弥陀如来ともいいます。この光に、仏様にあうことによって闇は破れるのであります。この仏様に遇う、すがたが如来様の御前にて、ぬかづいて手を合わせて、お念仏称えることであります。

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