「お立ち姿の阿弥陀様」 神埼組 光蔵寺 永渕晃親師

浄土真宗のご本尊は阿弥陀様であります。お座りの仏様ではなく、正面をお向きのお立ち姿であります。直立不動ではなく、姿勢は前のめり、御身を傾けて立っていてくださいます。

いついかなる時代にも、どのような場所におっても生きとし生けるものをすくい取って下さる親様と聞かせて頂くのであります。

この肌寒い秋になると思い出すことがございます。

私ごとではございますが、長崎に嫁いだ姉がおります。数年前になりますが、嫁ぎ先より電話がありました。かなり緊急の様子です。「家族が目を離したすきに、一歳になる長男が、庭の池に落ち、今助けられて病院に運ばれたところです」との一報。ひょっとしたことがあるといけないと、母と二人大急ぎで長崎の病院に駆けつけました。大きな病院にてようやく点滴をうっている甥っ子を見つけだしました。「大丈夫やったね」と聞くと本人はこちらの心配をよそに、何もなかったかのように笑顔いっぱいで安心しました。

でも姉の姿が見あたりません。兄に尋ねると妊娠中にもかかわらず、無謀にも冷たく汚い池に飛び込み、重い子供を抱え上げたので念のため母子健康の検査を受けなさいとすすめられたとのことでした。

「何で妊娠しとるのに自分で入ったと。誰か喚んだら良かったのに」と言うと、姉は「自分でも大胆なことをしたよね。ホント、気づいたらとびこんどった。無我夢中であまり色々覚えとらんよ」と、自分でしたことに自分で驚いている様子でした。

溺れる我が子供をほおっておけないと飛び込み、抱え上げた姉の姿を親と呼ぶのかな。若い時は身体がそんなに強くなかったのに母親となりたくましくなったなーと思った事でした。

冷たい水も関係なしの親。子供の悲しみが我が苦しみと味わい、子供の喜びが我が喜びと常に離れず。

阿弥陀様は十方衆生の苦難の毒に沈む姿を覩見して下さいました。生きたお慈悲は座っておれぬと立ち上がり阿弥陀様のお姿と顕れ、直立不動とじっとただ立ちつくすのではなく、私の方に届き、口にお念仏の声にまでなって下さっております。そなたの往生は我にまかせよ。私のために今すでに間に合っておるぞのお立ち姿でありました

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