「今ここで」 白石組 正徳寺 浦霧慶哉師

百ヶ日のお参りに、お世話になったときのことです。奥様を亡くされた御主人が話をして下さいました。 「今朝、ラジオでお医者様が話をしておられました。話の中でこうおっしゃいました。仏教の言葉に生老病死とある。これまで病は医者の担当、死は僧侶の担当のようにされてきたが、病のところには心の問題で医師だけでは対応できない部分がある。僧侶も病のところにもっと関わってもらいたい、との話でした。この話を聞いて、最初は積極的に病と闘っていた妻が、最後に『私はもう治らない』と言った時、返す言葉が無かったことを思い出しました。若い頃は、お寺とか法話に関心が無かったが、妻と別れ、年を重ね、仏さまに、仏法に心が向くようになりました。」

私は御主人の話を聞いて反省すると同時にいろいろ考えさせられました。鈴木章子さんの言葉に「病をいただいて見えなかったものが見えてきた人生に出会いました」とあります。また「病床のここが、今現在説法のどまんなかであります」とおっしゃっています。鈴木さんは、しっかりと今の自分自身をうけとめて、いのちと人生の喜びを言葉にされています。私たちは、今ここで解決すべき生老病死の問題を先送りして、目先の楽しみに心奪われております。しかし、この問題の解決なしには、本当の喜びはありません。むなしく過ぐる人生であります。親鸞聖人が求められたのは「生死出づべき道」でありました。生の依るところ、死の帰するところを得る道であります。私の人生、何によって生き、私のいのちどこに帰るかをこの私にお示し下さったのが親鸞聖人であります。命終わっての喜びではなく、今からここから喜びに満ちた人生とさせて頂く道であります。生老病死の問題は他人事ではありません。今ここが今現在説法のどまん中であります。共にお聴聞いたしましょう。

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