「忘れぬ親さま」 南水組 教楽寺 藤谷隆之師

今聞いてすぐに忘れる身なれども、忘れぬ親のあるぞうれしき

阿弥陀さまは、私のことを忘れないよ、仰って下さいます。

この娑婆で、私のことを忘れないのは親であります。子どもが小学校に行って、昼頃、急に雨が降り出すと「ありゃー、うちの子は傘ば持って行ったろーか」と親はすぐ思う。隣のおばっちゃんはそんなことは思いません。玄関を見に行くとちゃんと傘がある。傘を持っていってやろうか、下校時に迎えに行こうか、ということになる。子が中学生になると、親は小学生の時の様にはかいがいしく世話はしません。でも、昼頃、急に雨が降り出すと「ありゃー。うちの子はカッパば持って行ったろーか」と親はすぐ思う。玄関を見に行くとちゃんとカッパがある。「天気予報ば見て行かんばて言うたとこれ。濡れんやろうか、カッパば持って行ってやろうか、どうしようか」と思う。空模様を見て、「今日はそがん降らんごたっね。可哀想かばってん、少し濡れて帰ってくんない、ちっとは懲りて、天気予報ば見て行くごとなろう」と考えて、わざと持って行かん時もある。これも親心であります。子が濡れて帰ってきて「何でカッパば持ってきてくれんやったとー」と子が腹かいても、「あんたが持って行かんけんさい」と、心配を隠して突き放した様に親が言う。それで、子は天気予報を見てカッパを忘れない様になる。

この三月、お彼岸のお中日に地震がありました。恐ろしかったですね。そんな時、誰かが一緒にいてくれると心強いものです。また、「どがんやったねー」と、お見舞いの電話をいただきました。「有り難う。そがん大したことはなかったよー。気がけとってくいたねー。ありがとう」お礼を言いました。私のことを忘れず心配して下さるのはうれしいことです。

阿弥陀さまは、私のことを忘れぬ親さまであります。小学生位の子は、何かあったら親が来てくれる、親がしてくれる、と当たり前の様に思っています。ちょうど私が小学生の頃の親の様な阿弥陀さまです。私のことが心配で心配で、忘れられぬとはたらいて下さる親さまです。

「今聞いてすぐに忘れる身なれども、忘れぬ親のあるぞうれしき」 私を忘れぬ阿弥陀さまを戴き、今から安心してこの娑婆を、お念仏して生き抜かれて戴きます。なまんだぶ、なまんだぶ。

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