「共に遇えるいのち」 牛津組 光楽寺 蒲生晄隆師

最近、テレビ等で葬儀のニュースが報道されるたびに気になることがあります。それは一般の人も芸能人や著名人まで亡き人を偲ぶ言葉として『天国で・・・』と言われることです。

マスメディアが発達した今日、著名人などがテレビ等で使用すれば言葉の持つイメージやその時の雰囲気だけで、言葉本来の意味など考えず、また誤用されたまま言葉だけが独り歩きしてしまうスピードが速い。そしてやがてそれが、さもそれらしく定着していきます。

親鸞さまは阿弥陀様やお念仏に関わる語句や言葉の持つその意味やその用法について大変厳密に使用されました。なぜなら親鸞さまにとって言葉は「阿弥陀様のいのち」そのものだったからです。そのいのちを伝えるのに、本来表現に限界のある言葉や語句を使用しなければならないことは自ずと限界のあるものです。だからこそ、曖昧さを極限にまで押さえ、いろいろな言葉や語句を駆使されて「いのち」を伝えようとなさったと思います。

それほどまでに言葉は大切なものです。前述の『天国』についてのイメージを複数のお方にお尋ねしたところ、いろいろな天国のイメージがあり、人それぞれの『天国』でした。

ある日、たまたま仕事を頼んだ女性が私に「ご住職さん、実は私は三年前に夫を亡くしました。寂しさから、ある人に夫と会えるかどうか尋ねたら”会えません”と言われました。本当に会えないのでしょうか?」と質問されました。 それで私はその方に「あなたのご主人は今どこにいらっしゃると思いますか?そして、あなた自身はどこに向かっていますか?」と尋ねたら、その方は「どこにいるんでしょうか?天国でしょうか?わかりません」と。私はその方に「お辛いことと思います。本当に残念ですが、今のままではお会いできませんね」と申しました。寂しいお顔でした。

「正信偈」意訳に
本願力のめぐみゆえ
ただ一心の救いかな
仏のみ名に帰してこそ
浄土の聖衆のかずにいれ

蓮華の国に 生まれては
真如のさとり ひらきてぞ
生死の園に かえりきて
迷える人を 救うなり

親鸞様のお勧めくださったお念仏のみ教えは、私がこの教えをいただいて苦悩の人生にあっても、阿弥陀如来の本願力によって、おかげさまと生かされ、ありがとうと生き抜き、お念仏さまとともにやがてお浄土に生まれ、共に遇える「倶会一処」の永遠のいのちをいただく教えです。5月21日は、不安から安心への道を開いてくださった親鸞さまのお誕生日です。共によころび、お祝いいたしましょう。

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