「もらい泣きをした日」 北山組 延覚寺 藤野真也師

数年前、ご門徒さんの祥月命日にお参りさせて頂いた時のことです。お経を一緒にお勤めし、法話が終わり、後の楽しみと言ってはなんですが、ご主人とお酒を頂いておりました。

ご主人の奥さんは若い頃より病気がちで、晩年はご主人が奥さんのお世話をされていることが多く、いつも大変だろうなと思っておりました。

その酒席で、ご主人が私にゆっくりと話しかけられました。「ご院家さん、見ての通り、家内は寝たり起きたりの様なことですが、この前こういうことがありました。その日枕元に近づいてふと家内の方を見ると、私に向かって合掌してくれていました。何事かと思って見ていると家内が言ったんです『お父さん、いつも世話をかけてすまんね。あなたがいろいろしてくれるから助かっとるよ。だから、私の病気は治ってはおらんけど、もう私の心は救われとるよ』そう私に言ってくれました」と。

その後、ご主人は自分がいつも奥さんのお世話を嫌々やってはいないものの、何か満たされないものを感じていたことを話されました。しかし、その奥さんの言葉を聞いて嬉しかったと涙を流されました。私もらい泣きをしてしまいました。

病気は治ってはいなくても救われている。なんと有り難い奥さんの言葉でしょう。人間はどんな逆境にいても本当に私を見捨てずにいて下さる方がいれば、心安らぐのはないでしょうか。私達のお頂きをする六字のお名号、南無阿弥陀仏も、アミダ様のあなたを決して見捨てることはないという呼び声です。ナモアミダ仏と称える時、一人ではなかったと人生を歩んでいけるのだと思います。

この日の出来事は、私にお念仏の味わいを教えて下さった大切なことだったと今も心に深く残っています。

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