「一緒だから」 三根組長泉寺 三玉洪人師

ある朝、元気よく走り寄ってきた一人の幼稚園児。「園長先生おはようございます」と挨拶をして、こう言ったのです。「あのね、園長先生、今度の日曜日どこにいくかしらんやろう」と嬉しそうに話しかけてきたので「どこへ、なのしに、なんで行くの、遠いの、近いの、電車、新幹線、飛行機、泊まるの、日帰り・・・」と次々と尋ねてみたら、その子は何を聞いても「しらない、しらない・・・」と答えるばかりでした。そこで、「そう、何処へ行くかも、何で行くかも、何にも知らないの、だったら嬉しくないでしょう・・・」と私が言うと間髪入れずにその子は言った「だってね、私のお母さんと行くのよ。だから嬉しいの。楽しいの。園長先生わかっとらんね」といかにも、嬉しそうに笑いながら教室の方へと走っていく後ろ姿を見ながら、阿弥陀様のお慈悲を味わいました。

自力修行も、智慧をみがくことも、何にもできない、まさしく罪悪深重の凡夫と見抜いた阿弥陀様なればこそ可愛い我が子よとの慈悲の心を凡夫の私に、任せてくれよ、この弥陀に必ず救うぞ安心してくれよ・・・の親心南無阿弥陀仏の名号となって、常にわたしのことを思っていて下さいます。受け取る私たちは、ハイお任せいたします。阿弥陀様、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。私の行く末を案じることもなく、案じて下さる親さま、阿弥陀様のお心にお任せさせて頂く生活が大事なことであります。

お母さんと一緒だから嬉しいのです。子どものはからい心は要らないのです。私のはからいはいりません。私はすべて阿弥陀様という親と一緒の生活ができるので、その生き方が嬉しくてただただお念仏申させて頂く人生を送りたいものです。

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