「朝夕のお勤め」 牛津組円心寺 城島隆幸師

私どもが毎日つとめる朝夕のお勤めは、一体何のためにするのか?

この事について、本願寺第八代宗主・蓮如上人は、『蓮如上人御一代聞書』の第三十二条で、次のように仰ったと伝わっています。

「朝夕のお勤めは、往生のタネにするために勤めるものではないが、往生のタネにならないからといって、疎かにしてはいけない。我々のすくわれるおいわれが示されたものであるから、つつしんでみ教えにあわせていただく、自らとなえて自ら聞く心で大切に勤めなければいけません。」

浄土真宗のお勤めは、分かり難い漢文のお経であろうとも、やさしい仮名交じりのお聖教であろうとも、どちらも、本を正せば、仏説・仏言、「仏様のお言葉」です。「往生のタネ」にしようと思って唱える「呪文」などでは決してありません。

この私にとって一番問題になるのは「この私」。そして、仏様が問題にされるのも「この私」。それも「私のホンネ」。たとえうわべは見事なるごまかしがきいたとしても、仏様が問題とされるのは「私のホンネ」。我が欲目で捕らえた「見かけの私」ではなく、仏様の光に照らし出された、映し出された「私のホンネ」です。

欲望の広大なる海に溺れ、怒りの大火に身を焼き滅ぼす、愚痴なる愚か者。これが「私のホンネ」。「その私を必ず拯う!」と仰って下さる仏様のあつき思い、願いが込められているのです。

他人の失態や欠点は「鵜の目鷹の目」で捜しだし、何や彼やとあげつらいながら、朝夕のお勤めさえ避けて逃げようとするこの私。

私ども僧侶はもちろんのこと、浄土真宗の門信徒の第一歩ともいえるのが「朝夕のお勤め」なのです。

自ら唱えて自ら聞かせていただく「南無阿弥陀仏のみ教え」、短いけれども貴重な一時を大切にいたしましょう。

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