「命の尊さ」 武雄組 興隆寺 千綿民也師

本日は命の尊さということについて私の感じていることを若干お話させていただきます。 最近のテレビや新聞のニュースを見たり聞いたりしておりますと、余りにも暗いニュースばかり、いわゆる通常で考えられない罪悪非道な行動を犯す人間が増加しているのに驚くばかりです。

いったい日本国中どうなっているのと思われる程で、最近だけでも数え切れない程の殺人事件が数多く報道され、その事件を犯す当事者の年齢が低年齢化、いわゆる10代〜30代がけっこう多いのに驚くばかりです。 我々の子どもの頃を振り返れば、両親から怒られたり、注意されたりする時は、親は恐ろしい、又恐いといったイメージがありましたが最近では親が子どもに注意でもしたら殺される時代に様変わりで、なんと情けない世の中だなーと私自身思っているところでございます。

又、一方中高年者に至っては、自分の欲しいものが手に入らないと強盗、殺人を犯してでも金品を奪うといった記事も多く報道され、なんと最近は、尊い人の命をなんと考えているのかと、思っただけでも情けなくなっているのが現実でございます。

皆様方におかれましては、よくご法座等で、お母さんのお腹に十月十日宿っている時から尊い命をいただき、仏の子、オギャーと産声をあげ、この娑婆に生かさせて頂いた時から、超世の悲願の如来さまに智慧と慈悲に照らされながらお陰様と、この娑婆を煩悩の日暮らしの日々を生き抜かさせて頂き、又娑婆の縁終わって往生した暁には、即ち往生浄土、往生成仏、お浄土に行き生まれ仏と成らせて頂きますとお聴聞されていらっしゃるかと存じます。こういった有難いもったいない教えがあるにもかかわらず、最近は仏法に耳を傾ける方も少なくなっているし、又仏法のご縁に遠ざかっている方も多いような感じもします。だからこそ人命、即ち命の尊さを尊いものと思っていないものが増加し、これもひとえに仏法のご縁に合うことのできない者の犯罪かなーと痛感する者でございます。

尊い命を頂いて人間に生まれさせて頂いたからには、お仕事も大変、しかし少しは仏法のご縁にあって心の洗濯をする、すなわち浄土真宗で言う一にもお聴聞、二にもお聴聞という仏様のみ教えを頂いた時、他人の命は勿論、自分自身の命も尊い命、これもひとえに如来さまからの頂きものと大切に生き抜かさせてもらいたいものです。親鸞聖人は世の中安穏なれ仏法広まれかしというお言葉を残していらっしゃいます。正にその通りを頂かさせてもらいます。

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