「唯信とは」 武雄組信行寺 楠村信英師

少子高齢化が叫ばれて幾久しくたちますが、昔に比べてもお年寄りの方が非常に元気に過ごされているように感じられます。

宗祖親鸞聖人も70代80代に沢山のお書物を書かれておられますように、精神的にも肉体的にも元気に過ごしてらっしゃったと伺えます。さて85歳の時に兄弟子であられた聖覚法印の書かれた『唯信鈔』を読まれ、その注釈書として『唯信鈔文意』を書かれています。

最初の所に『唯』と『信』について述べられています。まず『唯はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり』と言われています。情報化社会ではありますが、あまりにも沢山の情報が錯綜しておるように感じられます。何が本当で何がそうではないのかと・・・言うことも判らない時があります。聖人は『唯』とは真実、すなわち如来様の本願であると頂くことができるのではないでしょうか。

『信』とは『うたがひなきこころ』と申されてますが、聴聞することだと味わえます。

親は子どもが願わなくても、子どものことを思い、あれこれと願いをかけるものであります。聖人は『如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして』と言われておるように、本願とは私たち一人一人にかけられた尊い願いであると味わえます。唯信とは、私にかけられた真実の如来様の願いを聴聞させて頂くことだと思います。

喋ることより聞くことの大切さを充分、認識しながら日暮らしを送りたいものです。

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