「金魚すくいとは違うで」 白石組西光寺 西 昭文師

新年度が始まり半月が過ぎました。入学したての一年生は、初体験ばかりでどうしたらよいのか不安を抱えながら、 新たな出来事、出会いに希望を膨らませ、学校へ通っています。 今までの幼稚園や保育園とは、先生も環境も違いま す。
しかし、段々と慣れて小学生として育っていきます。

私たち、南無阿弥陀仏のお救いをいただく者はこの世の命を終えればお浄土へ参らせていただきます。
このお救いを小学校へ入学するような事と思われている方がいらっしゃいませんでしょうか。

山本仏骨和上が
「お浄土に救われていくということは、金魚すくいとは違うで」
と、よく話されていたと聞きました。

金魚すくいとは、ごちゃごちゃと泳いでいた大きな水槽から掬(すく)われて家庭の綺麗な金魚鉢へと今までとは比 べることもできない恵まれた、全く違う環境へ連れて帰られることです。 だが、この良い環境へ移っても、金魚は金 魚のままのいのちを生きていくだけで何も変わりません。

私たちも、この煩悩が燃え盛るいのちのまま、お浄土へお参りしたら、せっかくのお浄土にありながら、泣いて、喚 いて、喧嘩していく迷いの環境、煩悩の世界としか生きていけないのです。

しかし、ありがたいことです。『仏説無量寿経』本願成就の文に
「すべての人々は、その仏の名号のいわれを聞いて信じ喜ぶ心がおこるとき、それは無量寿仏がまことの心をもって お与えになったものであるから、無量寿仏の国に生まれたいと願うたちどころに往生する身に定まり、不退転の位に 至るのである」(浄土三部経現代語版 七十二頁)
と、お前の命を既にお浄土へ参る身と定め、お浄土へ生まれる時には煩悩を離れて、すばらしい悟りの仏となってい るのだぞと、南無阿弥陀仏は往生即時成仏、お浄土へ参った時は仏様に成っているんだよと、私に届けて下さってい ました。 一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

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