7月
 

「迷いを離れる」 三根組聞法寺 平尾 晴久師

先日、北朝鮮の家族が青森県の日本海側にある漁港に漂着したということです。
所謂、脱北難民の方々だそうです。新潟の港をめざしていたが違ったところに着いてしまったということです。
目的地めざして進んだにもかかわらず、気がついたら別の場所だったのです。


これを迷いというのでしょう。

まさに、この方々にとっては命がけの行動だったのです。

戻ってしまったら、死が待ち受けているということなのです。

さて、ここでこの出来事を対岸の火事として受け止めてはなりません。
いつの時代であっても、どこの国にあっても、私たちが生まれてきたのは縁があったからこそであり、人間の営みは普遍なる真理の追求であります。しあわせを願わないものはありません。

生死の世界をお釈迦さまは「迷い」と教えてくださいました。
迷わない人生は素晴らしいことでありますが、迷わないで生きることほど難しいものはないようです。

浄土真宗をひらかれた親鸞聖人は、正信偈さまのなかで、「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」(これは、まどいの身にも信あらば まよいのままにすくいあり ということです。)とあきらかに私に示してくださいました。
生きていくうえで、悩んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりしながら生きている私であり、このまま人生を終えて大丈夫だろうか、ほかに別の生き方があるのではと不安に感じて生きている毎日です。

そのような私に向かって「なんじ 一心に正念にしてただちに来たれ われよくなんじを護らん。すべて 水火の難に堕せんことを畏れざれ。」とよんでくださいます。

これを「南無阿弥陀仏」といただき、味わいある人生を歩ませてもらいましょう。

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