「甲子園に想う」 佐賀組正蓮寺 藤木 徳仁師

 今年の佐賀県は高校総体の成功と甲子園における佐賀北高の優勝によって全国の多くの方にさわやかで大きな感動を与えました。それぞれの選手が幼い頃から目標とし、厳しい練習に耐え、その目標の場においてこれまで積み重ねてきた成果を充分に発揮してくれた結果だと思います。


 特に毎年テレビで等でも放映され国民的行事になっている全国高校野球大会は、他県が優勝しても全国民がその勇姿を讃える習慣になっているようにも思えます。

 どうしてそこまで人々に感動を与えるのか、そこには様々な理由があることかと思います。しかし、ひとつだけ私が考えておりますことは、そこでプレイしている生徒たちの心の中に「これが最後だ」という思いがあるからではないでしょうか。特に3年生にとっては千載一遇のチャンスの場に今立っている、他の下級生にとってもまた来年来れるかどうかわからない、そんな幼い頃からの夢の場所での試合だからこそ、真夏の炎天下にあって全力で、泥だらけになってひとつひとつの試合に臨むことができるのでしょう。


 しかし、よく考えてみると、明日がない、明日のいのちの保証がないということにおいて、今日という日は私にとっての人生最後の日なのです。これまで積み重ねてきた経験や努力の集大成の日が今日という日なのだという意味において、あの球児達と本来同じ心境でなければならないはずです。もしそうであれば毎日の暮らしの中に本当は同じ感動があるはずなのです。

 ところがいつの間にか明日がある、明後日もあるという今を見失った日暮らしに追われてしまい、或いは毎日をただ何となく過ごしていることに何の疑問も持たない私の姿があります。たいへんに恥ずかしく想います。

 勝ち負けではなく、損得ではなくただひたすらに与えられた一度だけの人生を生きることの尊さとすがすがしさをあらためて知らされた思いです。

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