「お慈悲にもれるものなし」       三根組 徳常寺住職 塚本 慈顕

 二月七日は、本願寺仏教婦人会を創設された九條武子様の如月忌(きさらぎき)でした。

武子様の数ある歌のひとつに

”すてられて なお咲く花の あわれさに

       またとりあげて 水あたえけり”  とあります。

 仏前にお供えされた花なのでしょうか。

萎(な)えて、枯れはじめた花だと捨てられてしまったけれども、なお大地の力を、いっぱい受けて咲きつづけようという姿が、まことにいとおしくあわれであります。

 花には花のいのちがあり、懸命に生きようとするそこに、「またとりあげて 水あたえけり」と、あたたかい慈悲のはたらきがうるおされました。
 このお互いの人間世界は、悲しいことに萎えていくものは捨てられ、力なき弱きものは忘れ去られゆく傾向にあります。
 しかし、たとえ捨てられ忘れ去られるものにも思いはいっぱいあるはずです。もっともっと華やいでいたいと。

 そこに、決して他人事と見捨てるわけにはいかないと、やさしい手がさしのべられ、希望と生きる力を与えずめにしていて下さる方があったのです。そのお方を阿弥陀さまと申します。

 この如来のお慈悲の前には、捨てもの、邪魔ものは一切ありません。

更に、善悪正邪、強弱賢愚の区別なく無量のいのちをとどけ、それぞれの身を価値あらしめんと、ナンマンダブツと口に称えられるお姿となったおはたらきであります。こころがけてお念仏申して参りましょう。

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