「時間(とき)ぐすり」          南水組 明圓寺 前住職 西谷智章

 田植えも終わり、秋の収穫までには、時間を要します。時の流れの中で休むことなく生育をつづけ、それを見守る生産者の力がみなぎり、自然への感謝も生まれてきます。

 先日、弟が「『時薬』」ということばがあるね」と話しかけました。

なるほど『時薬』、昔はよく耳にしましたが、今は余り聞かれなくなりました。

 時薬とは、時間の経過によって、いつしか心に宿る悲しみや歎きも、徐々に安らぎを覚えるようになることをいうのでありましょう。

 ある本で「百ヶ日」のことを、「哭卒」(こくそつ)という言葉に出会いました。

声をあげてはげしく泣く「慟哭」の哭と、「卒業」の卒を組み合わせた言葉と思われます。

これも一つの時薬に相当する言葉でしょう。

 悲しみや痛みが消えるのでなく、悲しみや嘆きが時とともに安らぎ、静けさを取り戻していく、

まさに涙を流すことによって、失いかけた「いのち」がよみがえるのでしょう。

 現在は、早く、簡単で、利便さが要求される時代でしょうか。お料理でも、電子レンジで「チン」とすれば、

すばやく出来るようになりました。しかし、とろ火で煮込んだ深みのある味わいは、えもいえぬ妙味です。

 当地方では「鮒(フナ)のこぐい」といって、鮒を昆布で幾重にも包み込んで巻き、長い時間をかけて、とろ火で

コトコト、コトコトと煮込んで、鮒と昆布が一つに融あい、独特な味をかもし出します。

 人格形成も学問や技術も同じように、時間をかけて拾得していくことが望まれます。

仏法聴聞も、いくたびも、いくたびもお聞かせに頼るうちに、わが身にしみこんで、凡夫と仏が一つに融けあい、

「ナムアミダ仏」のお称名となって、我が声をわが耳で聞かせて頂く身に育てられてまいるのであります。

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