「おかげさま」          多久組善福寺 住職 納塚不退

 私たちが平素、何気なく使っている言葉に「お蔭さま」というのがあります。

「久しぶりですね。お元気ですか」と声をかけられるますと、「ハイ、お蔭さまで、」と返事します。

このように、何気なく使っているこの「お蔭さま」。実は、日本人の長い間、培ってきた仏教的な味わいが自然に、日常生活のなかに、滲み出てきたものと言われます。

 それは、道を歩いているとき、急に雨が降ってくると、急いで物の陰に身をひそめます。

また、真夏に日照りが強い時には、物陰に身をおいて、暑さを避けるでしょう。

あまりにも当然すぎて、私たちはこの何か変わったことがないと、「お蔭さま」という思いを忘れがちなのです。

 ところが、私が「生きている」というのは、実は、あらゆるものの「お蔭」によって、生かされていることではないでしょうか。私たちの食事も、沢山の命をいただくから「いただきます」であり、その食事のために走り回って用意されたから「ご馳走さま」と漢字の文字に教えられます。すべてが「お蔭さま」の世界であります。

 このように私たちの命が数多くの、いろいろな因縁によって支えられて、生かされていることを気づかせて頂くとき、多くの尊い命に手を合わせ、大きなお働きの、み仏に感謝させていただくのがお念仏ですが、近頃は飽食のせいでしょうか。食前・食後に合掌される姿を見ることが少なくなりました。

 み仏の教に「一切即一」とあります。私という一人の存在は、目に見えるもの見えないものの一切の働きによって支えられ、生かされているということです。まことに「お蔭さま」と申さずにはおれません。

 私を支え生かしてくださるお念仏の道は、「お蔭さま」と生かされる道であり「ありがとう」と生き抜く道であると聞かせていただいています。

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