「煩悩具足の私」         佐賀組浄照寺    光岡理学


 私は今幼稚園の園長をしています。もう20年近くにもなっります。園長として子供たちと接するのはとても楽しいものです。子供たちの心は純真無垢で本当に心が洗われます。大人になるとつい自分の欲で、ああなって欲しいこうなって欲しいと子供たちに要求してしまうものです。後で後悔することもたびたびです。

 あるお母さんからの相談で、【ある講演会で「子供が生まれて、はじめてお母さんになるのですから、子育ては親育てです」というお話しを聞きました。その時は、ああそうなんだなとうなずきましたが、いつの間にか忘れ去ってしまっていました。そしていつの間にか「大人は子供を育て導くもの」という思いが先行してしまし、子供をいい子に育てたい、ステキな子供になって欲しいと、こちらの要求を突きつけていました。もちろん子供は総てのことに従うわけではないのですが、気がつけば「うんわかった。」と返事をしてくれます。そんな時は私の育て方は間違ってはいなかったと思うのですが、私の思いどうりに動かないときには「何回言ったらわかるの」と腹を立てて、「あなたなんか生むんじゃ無かった」とつい言ってしまい、子供も「あんたなんかに頼んだ覚えはない」と反発をします。最初はたいした問題でもなかったことが家族中を巻き込み大事に発展して険悪な雰囲気になり、家中が真っ暗になります。】というのです。

 そこで、私はこう返事をしました。そうですか、それは大変ですね。昔の観無量寿経という教典の中に韋提希夫人が「なぜ私はこんな悪い子を生んだのでしょうか」とお釈迦様に問う場面があります。お釈迦様は何も答えられませんでした。私たちは毎日の日暮の中で沢山の苦悩を抱えて生きていかなければなりません。親鸞聖人の言葉に「凡夫という葉無明煩悩われらが身に満ち満ちて、欲も多く怒り、そねみ、ねたむ心多くして暇なくして臨終の一念まで、とどまらず消えず絶えず恥ずべし痛むべし」とあります。

あなた自身が自らを省みて、自分がいたらなかったのだなあと思い返して、子育ては子育ては親育ての言葉をもう一度かみしめていかれればと思います。人間はいつまでたっても煩悩のかたまりのなかでしか生きていけないのですよね。そんな私を哀れみ悲しんでくださって、私を助けて下さるのが阿弥陀さまなのでしよう。煩悩に眼さえられて、摂取の光明みざれども、大悲ものうきことなくて、常に私を照らしたもう。仏様はいつも私を見守ってくださっています。だから安心して生きていけるものだと思います。

|戻る|