「命はつながっている」      松浦組 光雲寺  藤谷 孝之

 支えてくれる足の裏の声に耳を傾けよう。

阿弥陀様と共に

 お仏壇の中心は、阿弥陀様です。その如来さまにはお灯り、お華を供えます。

お灯りは、如来さまの智慧を、お華は、如来さまの慈悲をあらわします。

 智慧は、『智慧光』『智慧の光明』といわれ、私どもの無明の闇を破る光であります。ただ、無明の闇は太陽や電気の光により破られるというような闇ではありません。

文字通り『門に音が閉じ込められている』という状態で、まわりの他の声(思い)が届かない、自分の殻に閉じこもった世界です。

 それに対し、光ある世界とは聞く耳を持つということです。聞く耳がもてると、言葉が聞こえてきます。

心も通じてきます。そして、生きていく喜びと勇気をいただきます。

 作家の高史明さんは、中学入学の息子さんの自死により、『いのちのつながり』ということを伝えられています。〔ある日、玄関先に現れた女子中学生は、見るからに落ち込んだ様子でした。「死にたいって、君のどこが言っているんだい。ここかい?」と頭をさすると、こっくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいきました。

でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず、手をひらいて相談しなきゃ。

君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。

数ヶ月語、彼女からの手紙には大きく足の裏の線が描かれ、「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました」と書かれてありました。〕と。(朝日新聞より)


 浄土真宗では、聴聞ということを大慈にいたします。聴とは『耳、声をまつなり』といい、聞とは『耳、声をうくるなり』といいます。如来さまのみ教えを聴くことを通して、み教えが聞こえてくるからであります。

 

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