「お経と経済」      牛津組 光楽寺 蒲生晄隆

以前、ある人から、「お経と経済という字には同じ経という字が使ってあるが何か関係がありますか」と尋ねられたことがありました。

  今、世界はサブプライムとリーマンブラザーズの破綻によって、100年に一度といわれる大不況に見舞われ、容赦ないリストラが行われ、私達が日ごろあてにしていた世間的、経済的価値観がことごとく覆されています。人々は不安と混迷の中に翻弄され、生活やいのちまでも脅かされています。そのような中、私たちはどこに向って進んでいるでしょうか。

 ところで、広辞苑で「経済」を調べると、

1、国を治め人民を救うこと。

2,人間の共同生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費の行為・過程、並びにそれを通じて  形成される人と人との社会関係の総体。とあります。

いわば、経済とは人と人、社会間を貫いて安定して結びつける相関関係のものということができます。  

また「経」という字は

1, 織物のたていと。

2,南北の方向。

3,不変なもの。

4,物事のすじ道、道理、法則など。

 これらの事から、経典はたとえば機織(はたおり)機械のように、経(タテ)糸に緯(ヨコ)糸を通すことによって一枚のしっかりした布に仕上がるように、お釈迦さまの説かれた教え、すなわち世の中を貫いている経(タテ)糸である仏法、教えに、私達のさまざまな人生模様の緯(ヨコ)糸を通すことによって心豊で味わい深い人生を織りなしてくれるのです。

 しかし、現実には私たちはしっかりしたよりどころとなる経(タテ)糸もなく、本当は当てたよりにならない地位、名誉、財産、学歴、身体、などの横糸をあて頼りにして、思い通りにならないものを思い通りにしようとする欲望と執着心から自ら苦悩を生じていく空しい人生を生きているのではないでしょうか。

 お釈迦さま最晩年のお言葉に「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」(涅槃経)の教えがあります。それは「自らをよりどころとし、他をたよりとせず、法をよりどころとし、法をたよりとして生きよ」ということです。

 このことは、世間的価値を基準にして生きるのではなく、「法を灯明、よりどころ」として、「自らの現実のすがた」を明らかに観て、何が正しいか何が間違っているかを見定めることのできる自分を確立せよと教えられました。

 「法」とは、物ごとの真実のありように気づかしめ、そのままの世界がお互いに感応道交(かんのうどうこう)して輝きを与えるはたらきです。

 お経と経済は一見、関係なさそうに見えますが、実はこの二つは全く無関係ではなく世の中を貫くものとして私たちの生き方に大きく関わっていることです。

 仏教は、お念仏のはたらきによって、私たちが今まで持っていた世間的価値観が根底から覆されて仏の価値観へと転ぜられます。

 すなわち、自己中心の利益追求を基準とした生き方からお念仏の教えを基準とした生き方によって今まで見えなかった世界が見え、気づかなかった世界に気づかされます。そのような仏教の教えを通して社会や世界経済を見ると、今までとは違う新たなすがたを見ることができるのではないでしょうか。

 親鸞聖人のご和讃に「本願力にあいぬれば 空しく過ぐる人ぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」 すなわち、経糸たる南無阿弥陀仏のお慈悲のはたらきの中で、横糸たる苦悩を抱えながら、苦悩を越えて一枚のほどける事のない布へ   と織りなしていく私の人生すべてが慚愧と感動そして歓びとお陰さまの人生へと転ぜられ、育てられていくのです。それが光といのちのきわみない南無阿弥陀仏の人生です。

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