「春の光の中で」      藤津西組 証誠寺 橋本教宣

 春の明るい光の中の桜並木のトンネルを抜けて行くと、小高い岡の上に、お寺の本堂の屋根が見えます。
ゴーンゴーンと響きわたる梵鐘の鐘の音、群れをなしてご参詣のご門徒さんのお念仏の声々、佐賀教区の巡番報恩講、あちらこちらでお勤まりなりました。
 この報恩講は、宗祖親鸞聖人のご苦労を偲びながら、凡夫のままで真実のお浄土に往生せしめられるご法義のお聴聞の席であります。


 さて、自分の顔を自分の眼、自分の目でじかに見ることができるのでしょうか。もちろん出来ませんね。

ましてや自分の目でもって自分の目を見ることは不可能でしょう。

この私の目は、人様の顔や目を見るようにできております。あの人の顔は、丸い顔とか四角い顔とか、目が三角とか自分中心の自我のメガネをとうして人様の顔や目をみています。恥ずかしいことです。


 そうすると本当に、自分自身の顔や目を見るためには、どうしたらよろしいでしょうか。鏡を使います。鏡を使っても光のないところでは何も見ることは出来ません。それは闇です。暗闇の中では本当の私の顔は、見ることが出来ません。

 光に照らされて初めて本当の私の姿を見ることができます。
闇という字は、音が閉ざされて何も聞こえない、声が聞こえないことを闇と申します。
 子供が学校から帰ってきたときに、「お帰り」というお母さんの声、「ただいま」という子供の声がなかったら、そこは闇です。「ただいま」と「お帰り」の声が聞けるなかに光明に照らされています。


 阿弥陀様は、摂取不捨の光明となって私たち一人ひとりを照らし念仏の教えとして南無阿弥陀仏の声を届けてくださいました。このことを慶ばせていただきましょう。

 

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